スポンサードリンク
天武天皇(二十一)田辺小隅の夜襲・合言葉は金
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
甲子、近江別將田邊小隅、越鹿深山而卷幟抱皷、詣于倉歷。以夜半之、衘梅穿城、劇入營中。則畏己卒與足摩侶衆難別、以毎人令言金。仍拔刀而毆之、非言金乃斬耳。於是、足摩侶衆悉亂之、事忽起不知所爲。唯足摩侶聰知之、獨言金以僅得免。乙未、小隅亦進、欲襲莿萩野營而急到。爰將軍多臣品治遮之、以精兵追擊之。小隅獨免走焉、以後遂復不來也。
現代語訳
(即位元年)7月5日。近江の別将(スケノイクサノキミ)の田辺小隅(タナヘノオスミ)は鹿深山(カフカノヤマ)を越えて、幟(ハタ)を巻き、鼓を抱いて、倉歴(クラフ=三重県阿山郡伊賀町柘植から滋賀県甲賀郡甲賀町油日へ抜ける道)に到着しました。夜中に梅(クチキ)を口に噛ませて、兵士や馬を黙らせて、城に穴を開けて、陣営の中に入りました。自分の軍兵と足摩侶(タリマロ=田中臣足麻呂=大海人皇子の将で倉歴道を守備していた)の衆(イクサノヒト=兵士)とが区別しにくいのを恐れて、人ごとに「金」と言わせました。
それで刀を抜いて打って、「金」と言わない者を斬り殺しました。それで足摩侶の衆はみんな、混乱しました。どうしようもありませんでした。ただし足摩侶だけは、聡く分かっていて、「金」と言って、どうにか免れることが出来ました。
7月6日。小隅(=田辺小隅)はまた進み、莿萩野(タラノ)の陣営を襲おうとして、急いで到着しました。将軍の多臣品治(オオノオミホムジ)が遮断して、精鋭の兵で追撃しました。小隅は一人、免れて逃げました。以後、もう来ませんでした。
それで刀を抜いて打って、「金」と言わない者を斬り殺しました。それで足摩侶の衆はみんな、混乱しました。どうしようもありませんでした。ただし足摩侶だけは、聡く分かっていて、「金」と言って、どうにか免れることが出来ました。
7月6日。小隅(=田辺小隅)はまた進み、莿萩野(タラノ)の陣営を襲おうとして、急いで到着しました。将軍の多臣品治(オオノオミホムジ)が遮断して、精鋭の兵で追撃しました。小隅は一人、免れて逃げました。以後、もう来ませんでした。
スポンサードリンク
解説
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
天武天皇(日本書紀28)の表紙へ
- Page17 天武天皇(十七)飛鳥寺の陣営の内応・穂積臣百足の殺害・軍を整備し乃楽へ
- Page18 天武天皇(十八)倭と近江へ兵を・赤色を衣の上に着る
- Page19 天武天皇(十九)近江は軍を犬上へ・山部王は蘇我果安と巨勢臣比等に殺される
- Page20 天武天皇(二十)乃楽山の攻防・古京の盾
- Page21 天武天皇(二十一)田辺小隅の夜襲・合言葉は金
- Page22 天武天皇(二十二)息長の戦い・鳥籠山の戦い・安河の戦い
- Page23 天武天皇(二十三)瀬田の攻防・橋の板・将軍の智尊と大分君稚臣
- Page24 天武天皇(二十四)大友皇子は山前で自殺
- Page25 天武天皇(二十五)7月1日に戻る・坂本臣財たちの奮戦
スポンサードリンク