天武天皇(二十四)大友皇子は山前で自殺

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天武天皇(二十四)大友皇子は山前で自殺

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原文

壬子、男依等、斬近江將犬養連五十君及谷直鹽手、於粟津市。於是、大友皇子、走無所入、乃還、隱山前、以自縊焉。時、左右大臣及群臣、皆散亡。唯物部連麻呂・且一二舍人、從之。

現代語訳

(即位元年)7月23日。男依(オヨリ)たちは近江の将軍の犬養連五十君(イヌカイノムラジイキミ)と谷直塩手(タニノアタイシオテ)を粟津市(アワヅノイチ)で斬り殺しました。大友皇子は逃げる所がありませんでした。引き返して、山前(ヤマサキ=未詳)に隠れて、自ら首をくくって死にました。その時に左右大臣と群臣たちは皆、散って逃亡し、消えてしまいました。ただし、物部連麻呂(モノノベノムラジマロ)と一人か二人の舎人だけが付き従いました。
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解説

物部連麻呂
物部連麻呂は大友皇子が自殺する最後まで、付き従ったようです。殉死ではありません。物部連麻呂はこのあとも、日本書紀に登場します。
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