吉備津神社(岡山市)

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吉備津神社(岡山市)

漢字・読みキビツジンジャ
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概要




住所
岡山県岡山市北区吉備津
祭神
オオキビツヒコ命(大吉備津彦命=彦五十狭芹彦命)

吉備の中山が神体山。すごい数の摂社・末社があり、ぐるっと回るだけで結構な時間が潰れるし、運動になります。そういうアミューズメントだったんじゃないかと思いますね。
鳴釜神事
釜を炊いて、その釜の音で吉凶を占う神事。予約すれば、誰でも占ってもらえます。吉備にいた鬼の温羅(ウラ)の神事。
矢置岩
吉備津神社の入り口の近くに「矢置岩」があります。これは吉備津彦が矢を撃つ時に矢を置いた岩とされるものです。
弓道修練場
吉備津彦が温羅退治をする際に弓矢を使ったことからか、弓道の修練場があります。
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物語・由来

桃太郎の元となった日本神話
垂仁天皇の時代、朝鮮の百済の王子「ウラ(温羅)」が吉備の国にやってきます。このウラが吉備冠者と名乗り、乱暴狼藉を働きます。人々はこのウラの城を「鬼ノ城」と呼んで恐れていました。そこに孝霊天皇の皇子、イサセリヒコ命(五十狭斧彦命・後の吉備津彦)がヤマト朝廷から派遣されます。

戦いは互角。イサセリヒコ命が放った矢とウラが投げた岩が空中でぶつかり合い落ちます。そこでイサセリヒコ命は2本の矢をまとめて放ちます。すると一本の矢はウラが投げた岩に当たり落ちましたが、もう一本はそのままウラの元に飛んでいき、左目を射抜きます。その際流れ出た血が、血吸川となりました。ウラは堪らずキジとなって飛び立ちます。イセサリヒコ命はタカとなって追いかけます。ウラは鯉に化けて血吸川に逃げます。イセサリヒコ命は鵜(ウ)となって鯉を捕まえました。

ウラは名乗っていた吉備津をイセサリヒコに譲り、イセサリヒコは吉備津彦を名乗るようになりました。

神社や関連する土地

吉備津彦神社(岡山市)…中山を挟んだ反対側にある神社。近いです。
すごい数の摂社・末社
本来は72社あったとか。現在は整理されてこの数になったのですが、それでも普通の感覚からするとかなり多い。
摂社・末社
本宮社(祭神:孝霊天皇=第7代天皇。大吉備津彦命の父)
新宮社(祭神:吉備武彦命=若日子建吉備津日子命の子)。明治末までは南方の東山に鎮座
内宮社(祭神:百田弓矢比売命=大吉備津彦命の妃)。元は吉備の中山の南部山上に鎮座
三社宮(春日宮・大神宮・八幡宮)
岩山宮 (祭神:建日方別命=吉備国の地主神)
滝祭神社
えびす社
祖霊社
一童社
宇賀神社
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歴史背景

ウラと吉備津彦は同一人物
この神話は吉備地方とヤマト朝廷の関係を表していると言われています。吉備は当時非常に発展していて、ヤマト朝廷・出雲地方と方を並べるほど。ヤマト朝廷が吉備を攻略したか取り込んだ過程を寓話化した物語です。

吉備津神社に行くと、吉備津彦だけでなくウラも祀られています。しかもどうもウラの方が地域に根付いていて愛着を持たれている節があります。実はウラこそがこの地域の統率者であり、吉備の津(=港)の彦(=男)はまさにウラの方。ウラは朝鮮・百済の王子という設定とされたのは、当時朝鮮半島への出兵に失敗したことが原因だろうとも、朝鮮からの度重なる侵略があったからではないかともいわれています。

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