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鵜(ウ)
漢字・読み | ウ |
概要
鵜は鳥の種類。
鵜飼といって、鵜に魚を取らせて、その魚を吐き出させる漁法がかなり古くからある。どうやら中国から伝わっていて、それが稲作とともに伝わったのではないか?とも言われる。
妊婦と鵜
鵜は大きな口を開けて、食べた魚を吐き出すことから、「安産」の霊力があると考えられている。鵜の羽で「産屋」を葺いたのはそのためかと。中国では妊婦は鵜を食べてはいけないという風習があった。
奄美大島には妊婦の家は屋根を葺かない風習がある。
鵜の目・鷹の目
鵜は水面の王で、空の王は鷹。という考えがあり、鵜は神聖なものという考えもあった。
鵜飼といって、鵜に魚を取らせて、その魚を吐き出させる漁法がかなり古くからある。どうやら中国から伝わっていて、それが稲作とともに伝わったのではないか?とも言われる。
妊婦と鵜
鵜は大きな口を開けて、食べた魚を吐き出すことから、「安産」の霊力があると考えられている。鵜の羽で「産屋」を葺いたのはそのためかと。中国では妊婦は鵜を食べてはいけないという風習があった。
ただし「ウガヤ」は「産むが屋」が転訛したものかもしれない。ウガヤフキアエズは「産むが屋」を「葺きあえず」と考えると自然。ただしここに「鵜」の字を当てたことには意味があると思われる。
奄美大島には妊婦の家は屋根を葺かない風習がある。
鵜の目・鷹の目
鵜は水面の王で、空の王は鷹。という考えがあり、鵜は神聖なものという考えもあった。
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物語・由来
料理人クシヤタマ神
鵜萱の産屋を建てていると陣痛が
吉野川の鵜飼
植ゑし椒口ひひく
まづ忌矢弾つべし
第十段一書(一)−5櫛に火をつけて出産の様子を
秋八月甲午朔乙未(三)吉野の先住民
十有一月癸亥朔己巳(三) 楯並めて伊那佐の山の
ミナト神(水戸神)の孫のクシヤタマ神が料理人となり、神に捧げる食物を供えるときに、クシヤタマ神が鵜(ウ)となって、海底にもぐり、粘土を咥えて出て、それで皿をつくって、海草の茎を刈ってヒキリ臼を作り、コモの茎を刈ってヒキリ杵を作り、火を起こして、言いました。
鵜萱の産屋を建てていると陣痛が
すぐに海辺の渚に鵜(ウ)の羽を屋根の葺草(フキクサ)代わりにして、産屋(ウブヤ)を作りました。 その産屋の屋根が出来上がる前に、トヨタマヒメはお腹が痛くなり、耐え切れず、産屋に入りました。
吉野川の鵜飼
ニヘモツノコは阿陀(アダ)の鵜飼の祖先です。
植ゑし椒口ひひく
伊那佐の山の木の間を通って、
見守っていたら、おなかが空いた。
鵜養部(ウカイベ)たちは助けに来てくれ!
見守っていたら、おなかが空いた。
鵜養部(ウカイベ)たちは助けに来てくれ!
まづ忌矢弾つべし
また逃げる軍を遮って切ったので、鵜のように河に死体が浮かびました。それでその河を「鵜河」と呼ぶようになりました。
第十段一書(一)−5櫛に火をつけて出産の様子を
この海辺の産屋の屋根の全てを鸕鷀(ウ)の羽で葺いたのですが、甍(イラカ=屋根の一番てっぺんの部分)を作り終えないうちに生んでからです。
秋八月甲午朔乙未(三)吉野の先住民
「わたしは苞苴擔(ニエモツ)の子です」
この人物は阿太養鸕(アダノウカイ)などの始祖です。
この人物は阿太養鸕(アダノウカイ)などの始祖です。
十有一月癸亥朔己巳(三) 楯並めて伊那佐の山の
楯を敵軍に対して並べて、
伊那佐(イナサ)の山の木々の間を行き来し、
見張りをしたり、
戦ったりしていたから
私もお腹がすいてしまった。
島の鳥、鵜飼たち。
助けに来てくれよ
伊那佐(イナサ)の山の木々の間を行き来し、
見張りをしたり、
戦ったりしていたから
私もお腹がすいてしまった。
島の鳥、鵜飼たち。
助けに来てくれよ
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