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まづ忌矢弾つべし
漢字・読み | マズイワイヤウツベシ |
原文
ここに日子国夫玖命乞ひて云はく、「其廂(ソナタ)の人、まづ忌矢弾つべし」といひき。ここにその建波邇安王射つれども得中てざりき。ここに国夫玖命の弾ちし矢は、即ち建波邇安王を射て死にき。かれ、その軍悉に破れて逃げ散けぬ。ここにその逃ぐる軍を追ひ迫めて、久須婆(クスバ)の度(ワタリ)に到りし時、皆迫め窘めらえて、屎でて褌に懸りき。かれ、其地を号けて屎褌(クソバカマ)と謂ふ。今は久須婆(クスバ)と謂ふ。またその逃ぐる軍を遮りて斬れば、鵜の如く河に浮きき。かれ、その河を号けて鵜河と謂ふ。またその軍士を斬りはふりき。かれ、其地を号けて波布理曽能(ホフリソノ)と謂ふ。かく平し訖へて、参上りて覆奏しき。
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現代文訳
日子国夫玖命(ヒコクニブク命)はタケハニヤス王に言いました。
「まず、そちらから忌矢(イミヤ=神聖な矢)を撃ちなさい」
そこで建波邇安王(タケハニヤス王)が撃ちましたが、当たりませんでした。次に国夫玖命(クニブク命)が矢を撃つと、建波邇安王(タケハニヤス王)にあたり、死んでしまいました。
大将である建波邇安王(タケハニヤス王)が死んでしまったことで、軍勢は総崩れとなり、散り散りになって逃げました。
その逃げる軍を追い詰め、久須婆(クスバ)の渡し場にやってきたときに、タケハニヤス王の軍兵達は、恐ろしくてウンコを漏らしてしまい、褌(ハカマ)に掛かった、そこでこの土地を「クソバカマ(=屎褌)」と言う様になりました。現在は久須婆(クスバ)と呼んでいます。
また逃げる軍を遮って切ったので、鵜のように河に死体が浮かびました。それでその河を「鵜河(ウガ)」と呼ぶようになりました。
また切られて死んだ兵をその土地に屠った(ホウッタ=埋葬した?)ので、波布理曽能(ホフリソノ)と呼ぶようになりました。
そうしてオオビコ命は戦に勝ち、山代国を平定して、都に凱旋し報告しました。
「まず、そちらから忌矢(イミヤ=神聖な矢)を撃ちなさい」
そこで建波邇安王(タケハニヤス王)が撃ちましたが、当たりませんでした。次に国夫玖命(クニブク命)が矢を撃つと、建波邇安王(タケハニヤス王)にあたり、死んでしまいました。
大将である建波邇安王(タケハニヤス王)が死んでしまったことで、軍勢は総崩れとなり、散り散りになって逃げました。
その逃げる軍を追い詰め、久須婆(クスバ)の渡し場にやってきたときに、タケハニヤス王の軍兵達は、恐ろしくてウンコを漏らしてしまい、褌(ハカマ)に掛かった、そこでこの土地を「クソバカマ(=屎褌)」と言う様になりました。現在は久須婆(クスバ)と呼んでいます。
また逃げる軍を遮って切ったので、鵜のように河に死体が浮かびました。それでその河を「鵜河(ウガ)」と呼ぶようになりました。
また切られて死んだ兵をその土地に屠った(ホウッタ=埋葬した?)ので、波布理曽能(ホフリソノ)と呼ぶようになりました。
そうしてオオビコ命は戦に勝ち、山代国を平定して、都に凱旋し報告しました。
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解説
忌矢
ヒコクニブク命がタケハニヤス王に「そちらから矢を放て」と言うのは、戦争の合図とされる「忌矢(イワイヤ)」のこと。戦争の吉兆を神に祈るという言わば「戦争の礼儀・儀式」。つまり、戦争の始まりということ。つまりこの話が書かれていた頃には「戦争に対する礼儀」というか、ただ殺しあうのではなく、妙な話ですが、相手に対して「礼」があったということかもしれない。
また「忌矢」が戦争の始まりならば、戦争に神が介入しているという意味にもなる。戦争の勝ち負けを決めるのが神という側面があった。
ヒコクニブク命がタケハニヤス王に「そちらから矢を放て」と言うのは、戦争の合図とされる「忌矢(イワイヤ)」のこと。戦争の吉兆を神に祈るという言わば「戦争の礼儀・儀式」。つまり、戦争の始まりということ。つまりこの話が書かれていた頃には「戦争に対する礼儀」というか、ただ殺しあうのではなく、妙な話ですが、相手に対して「礼」があったということかもしれない。
また「忌矢」が戦争の始まりならば、戦争に神が介入しているという意味にもなる。戦争の勝ち負けを決めるのが神という側面があった。
個人的コラム
オオビコ命、全然出てこないじゃないか。
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