伯父と叔父の戦い

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伯父と叔父の戦い

漢字・読みオジトオジノタタカイ
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原文

かれ、大毘古命さらに還り参上りて、天皇に請ふ時、天皇答へて詔りたまはく、「こは山代国なる我が庶兄 建波邇安王(タケハニヤスノミコ)、邪き心を起せし表ならむのみ。伯父、軍を興して行すべし」とのりたまひて、即ち丸邇臣(ワニノオミ)の祖、日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を副へて遣はしし時、即ち丸邇坂(ワニサカ)に忌瓮(イワイヘ)を居ゑて罷り往きき。ここに山代の和訶羅河(ワカラガワ)に到りし時、その建波邇安王(タケハニヤスノミコ)軍を興して待ち遮り、各河を中に挟みて、対ひ立ちて相挑みき。かれ、其地を号けて伊杼美と謂ふ。今豆美と謂ふ。
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現代文訳

大毘古命(オオビコ命)は引き返して、祟神天皇に(歌のことを)伝えました。すると祟神天皇は
「これは山代国にいる、あなた(=オオビコ命)の義兄である、建波邇安王(タケハニヤスノミコ)が、野心を抱いた兆候でしょう。
伯父上(=オオビコ命)。
軍隊をまとめて、出発してください」

すぐに丸邇臣(ワニノオミ)の祖先である日子国夫玖命(ヒコクニブクノミコト)を副官に、オオビコ命は山代国へ派遣された。
ヒコクニブク命は丸邇坂(ワニサカ)に忌瓮(イワイヘ=神聖な酒瓶)を奉納してから、出発しました。

そして山代の和訶羅河(ワカラガワ)にオオビコ命の軍勢がやってきたときに、建波邇安王(タケハニヤスノミコ)は軍勢を整えて待ち構え、行く手を遮りました。
オオビコ命とタケハニヤス王は和訶羅河(ワカラガワ)を挟んで向かい合い、戦争が始まりました。
それでその土地を「伊杼美(イドミ=挑み)」といいます。現在は今豆美といいます。
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解説

孝元天皇の息子で、祟神天皇の伯父にあたるオオビコ命が、タケハニヤス王と対峙するまでが、ここで描かれています。タケハニヤス王は祟神天皇から見て叔父、オオビコ命から見ると異母兄となります。ややこしい。結局身内の権力争いか。
地名について
丸邇坂は現在の天理市和爾町の坂とされます。和爾に酒を奉納したことが、丸邇臣の名前の由来という意味か。
和訶羅河(ワカラガワ)は現在の木津川のこと。上記の天理市和爾町から見ると北になります。
今豆美は現在の京都府木津川市木津町のこととされます。
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