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崇神天皇(十四)武埴安彦と吾田媛を迎え撃つ(日本書紀)
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於是、更留諸將軍而議之。未幾時、武埴安彦與妻吾田媛、謀反逆、興師忽至、各分道、而夫從山背、婦從大坂、共入欲襲帝京。時天皇、遣五十狹芹彦命、擊吾田媛之師、卽遮於大坂、皆大破之、殺吾田媛、悉斬其軍卒。復遣大彦與和珥臣遠祖彦国葺、向山背、擊埴安彦。爰以忌瓮、鎭坐於和珥武鐰坂上。則率精兵、進登那羅山而軍之。時官軍屯聚而蹢跙草木、因以號其山曰那羅山。(蹢跙、此云布瀰那羅須。)更避那羅山而進到輪韓河、與埴安彦、挾河屯之、各相挑焉、故時人改號其河曰挑河、今謂泉河訛也。
現代語訳
そこで更に諸々の将軍(イクサノキミ)を集めて話し合いをしました。まだ幾時(イクバク)も無いうちに、武埴安彦(タケハニヤスヒコ)と妻の吾田媛(アタヒメ)は謀反逆(ミカドカタブケム=皇位を傾ける)しようとして、兵を起こしてたちまちやって来ました。
夫婦はそれぞれの行く道を分けました。
夫は山背(ヤマシロ)から、妻は大坂(オオサカ)から、入って帝京(ミヤコ)を襲おうとしました。その時、天皇は五十狹芹彦命(イサセリヒコノミコト=吉備津彦)を派遣して、吾田媛(アタヒメ)の軍を討たせました。大坂で吾田媛の軍を遮り、勝利しました。吾田媛を殺して、兵士を皆殺しにしました。
また大彦(オオヒコ)と和珥臣の祖先の彦国葺(ヒコクニフク)を派遣して、山背(ヤマシロ)に向かわせ、埴安彦を討たせました。
忌瓮(イワイベ=儀式に使う瓶)を和珥(ワニ)の武鐰坂上(タケスキサカノウエ)に(戦勝祈願に)鎮座させました。
精兵(トキイクサ=精鋭部隊のこと)を率いて進み、那羅山(ナラヤマ=奈良県奈良市奈良坂付近)に登って戦闘を始めました。官軍(ミイクサ)は進軍し、草木を踏みならしました。それでその山を那羅山(ナラヤマ)といいます。
また那羅山(ナラヤマ)を去り、進むと輪韓河(ワカラカワ)に到着しました。埴安彦(ハニヤスヒコ)と河を挟んで対峙して、それぞれが挑みました。それで世の人はその河を挑河(イドミカワ)と名付けました。現在は泉河(イズミガワ)と訛っています。
夫婦はそれぞれの行く道を分けました。
夫は山背(ヤマシロ)から、妻は大坂(オオサカ)から、入って帝京(ミヤコ)を襲おうとしました。その時、天皇は五十狹芹彦命(イサセリヒコノミコト=吉備津彦)を派遣して、吾田媛(アタヒメ)の軍を討たせました。大坂で吾田媛の軍を遮り、勝利しました。吾田媛を殺して、兵士を皆殺しにしました。
また大彦(オオヒコ)と和珥臣の祖先の彦国葺(ヒコクニフク)を派遣して、山背(ヤマシロ)に向かわせ、埴安彦を討たせました。
忌瓮(イワイベ=儀式に使う瓶)を和珥(ワニ)の武鐰坂上(タケスキサカノウエ)に(戦勝祈願に)鎮座させました。
精兵(トキイクサ=精鋭部隊のこと)を率いて進み、那羅山(ナラヤマ=奈良県奈良市奈良坂付近)に登って戦闘を始めました。官軍(ミイクサ)は進軍し、草木を踏みならしました。それでその山を那羅山(ナラヤマ)といいます。
蹢跙は布瀰那羅須(フミナラス)と読みます。
また那羅山(ナラヤマ)を去り、進むと輪韓河(ワカラカワ)に到着しました。埴安彦(ハニヤスヒコ)と河を挟んで対峙して、それぞれが挑みました。それで世の人はその河を挑河(イドミカワ)と名付けました。現在は泉河(イズミガワ)と訛っています。
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解説
神と日本人
というのは、「忌瓮」という瓶に酒を入れて、それを山に埋めることで、神に「勝利」を願う儀式を指しています。
現在私たちが見ている神社は7世紀の終わりに「こういう感じに神社を整備しましょうね」と決めてからで、それ以前はこんな感じが多かったのでしょう。銅鐸も土に埋まっているところから、同様の意味だったのではないか?とも言われます。
忌瓮を和珥の武鐰坂上に鎮座させました。
というのは、「忌瓮」という瓶に酒を入れて、それを山に埋めることで、神に「勝利」を願う儀式を指しています。
現在私たちが見ている神社は7世紀の終わりに「こういう感じに神社を整備しましょうね」と決めてからで、それ以前はこんな感じが多かったのでしょう。銅鐸も土に埋まっているところから、同様の意味だったのではないか?とも言われます。
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