ハニヤスヒコ

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ハニヤスヒコ

漢字・読み埴安彦神
別名波迩夜須毘子神
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概要

まとめ
イザナミカグツチを生んだ時の苦しみから生まれた神の1柱。
●ハニヤスは陶器・土の神様
●孝元天皇の子に「タケハニヤスヒコ」という皇子が登場する。タケハニヤスヒコは謀反を起こして誅殺された。

物語・由来

ハニヤスヒコ
イザナミが火の神カグツチを生み、女性器を火傷して、その傷がもとで死んでしまう。死ぬまでもがき苦しみ、涙を流し、ゲロを吐き、脱糞する。その糞から産まれたのが、ハニヤスヒコとハニヤスヒメ

この二柱をまとめて「ハニヤス神(埴安神)」と呼びます。

名前に「埴輪」の「埴」がついているように、陶器の神様とされます。また糞から産まれたことから肥料や土壌といった農業に関わる神とされます。九州では埴安神を田んぼの畦(アゼ)や川の堤(ツツミ)に祀っています。
土器と農業
土器があることで種を保管できるようになりましたし、土器によって煮炊きができるようになりました。もしかすると糞を肥料として利用していたのならば、それにも使っていたでしょう。土器によって農業はかなり発展したわけで、発展すれば人口も増える。土器を神格化するのは自然なことです。
ところが土器がどこでも作れるようになると、土器の便利さは変わらなくても、人にとってはどうしても優先順位が下がります。だから、扱いが雑にはなるのだけど、古い時代には重要な神だった、のだろうと思います。
孝元天皇の子に名前が
ここで出ているハニヤスヒコは土や埴輪・陶器の神様であって、孝元天皇の子として登場する「建波邇夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)」「建波邇安王(タケハニヤスノミコ)」「武埴安彦命(タケハニヤスヒコノミコト)」とは別なんですが、無関係とは思えないので一緒に引用しておきます。
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引用

イザナミの苦しみ
次に苦しみから脱糞し、糞から生まれたのが
波邇夜須毘古神(ハニヤスヒコノカミ)と波邇夜須毘売神(ハニヤスヒメノカミ)。

第五段一書(六)-1冥土めぐり
その後は様々なものが生まれました。
海の神の名前は少童命(ワタツミ)です。
山の神の名前は山祇(ヤマツミ)です。
水門(ミナト=港)の神の名前は速秋津日命(ハヤアキツヒ)です。
木の神の名前は句句廼馳(ククノチ)です。
土の神の名前は埴安神(ハニヤス)です。


参考
孝元天皇と妻、その子供たち
また河内青玉(コウチノアオタマ)の娘の波邇夜須毘売(ハニヤスビメ)を娶って産んだ子供が
建波邇夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)です。

伯父と叔父の戦い
大毘古命(オオビコ命)は引き返して、祟神天皇に(歌のことを)伝えました。すると祟神天皇は
「これは山代国にいる、あなた(=オオビコ命)の義兄である、建波邇安王(タケハニヤスノミコ)が、野心を抱いた兆候でしょう。
伯父上(=オオビコ命)。
軍隊をまとめて、出発してください」

まづ忌矢弾つべし
日子国夫玖命(ヒコクニブク命)はタケハニヤス王に言いました。

「まず、そちらから忌矢(イミヤ=神聖な矢)を撃ちなさい」
そこで建波邇安王(タケハニヤス王)が撃ちましたが、当たりませんでした。次に国夫玖命(クニブク命)が矢を撃つと、建波邇安王(タケハニヤス王)にあたり、死んでしまいました。
大将である建波邇安王(タケハニヤス王)が死んでしまったことで、軍勢は総崩れとなり、散り散りになって逃げました。

己未年春二月壬辰朔辛亥(二)磐余邑の別説、と猛田・城田・頰枕田・埴安の地名説話
天皇は前の年の秋九月をもって、天香山(アマノカグヤマ)の埴土(ハニツチ=粘土質の土)を取って、八十平瓮(ヤソノヒラカ)を作り、自ら齋戒(モノイミ=血や死の穢れや女性に触れずに清らかな生活をすること)をして、諸々の神を祀りました。それで区宇(アメノシタ)を静めました(=安定させました)。そこで土を取った場所を埴安(ハニヤス)といいます。

孝元天皇(日本書紀)
次の妃の河内靑玉繋(カフチノアオタマカケ)の娘の埴安媛(ハニヤスヒメ)が、武埴安彦命(タケハニヤスヒコノミコト)を生みました。

崇神天皇(十三)謀反の徴(日本書紀)
天皇の大叔母の倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)は聡明で物知りで、未来の事も分かる人です。その歌の怪(シルシ)を知って、天皇に言いました。
「これは武埴安彦(タケハニヤスヒコ)が謀反(ミカドカタブケ)を起こす表(シルシ)でしょう。私が聞いた所によると、武埴安彦(タケハニヤスヒコ)の妻の吾田媛(アタヒメ)は密かに倭の香山(カグヤマ)に来て、土を取り、領巾(ヒレ=女性が襟から肩にかけた布)の頭(ハシ)に包んで呪いを掛けて『これは倭国(ヤマトノクニ)の物実(モノシロ…モノは霊、シロは代表)』と言って、帰って行ったのです。

崇神天皇(十四)武埴安彦と吾田媛を迎え撃つ(日本書紀)
そこで更に諸々の将軍(イクサノキミ)を集めて話し合いをしました。まだ幾時(イクバク)も無いうちに、武埴安彦(タケハニヤスヒコ)と妻の吾田媛(アタヒメ)は謀反逆(ミカドカタブケム=皇位を傾ける)しようとして、兵を起こしてたちまちやって来ました。

また那羅山(ナラヤマ)を去り、進むと輪韓河(ワカラカワ)に到着しました。埴安彦(ハニヤスヒコ)と河を挟んで対峙して、それぞれが挑みました。それで世の人はその河を挑河(イドミカワ)と名付けました。現在は泉河(イズミガワ)と訛っています。

崇神天皇(十五)埴安彦と彦国葺の戦争(日本書紀)
埴安彦(ハニヤスヒコ)が彦国葺(ヒコクニフク)の軍隊を見て言いました。
「どうして、お前は兵を起こして来るのか?」
彦国葺(ヒコクニフク)は答えました。
「お前は天に逆らい、道に背いている。王室(ミカド)を傾けようとしている。よって義兵(コトワリノイクサ=義勇兵)を挙げ、逆らうお前を討つ。天皇の命だ」
それから各軍は先手を取ろうと弓を射ました。
武埴安彦(タケハニヤスヒコ)がまず、彦国葺(ヒコクニフク)を射ましたが、当たりませんでした。次に彦国葺(ヒコクニフク)が埴安彦を射ると、胸に当たって殺してしまいました。
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個人的コラム

ハイヌウェレ型神話との関係について
ハイヌウェレ型神話とは神や人では無い者の死体から穀物が産まれたという神話の類型のことです。一般にオセアニア・アジアで多いハイヌウェレ神話といわれていますが、アフリカにも近いお話があります。

お話というよりは風習ですが、ちょっと怖い話です。

アフリカの一部の部族では男子は13歳になると一か所に集められ、昼は穀物・植物に関する講義を受けます。そして夜になると男性だけで乱交を行います。この部族では「男は男の体液を取り込むことで成人の男になる」という考えがあり、大人の男性から精液を飲まされます。そういった日が続いたあと、最後の仕上げに近くの村から女性を一人さらってきて、強姦して殺害、肉を食べ、あまった肉と骨をあたりに撒きます。

で、問題はここからです。

御存じの通り、日本の縄文時代に「土偶」というのがありました。丸みを帯びた独特な体型で、人間には見えない。そこで宇宙人だというオカルトの題材にもされる土偶。縄文時代の集落ではこの破片が不自然に撒かれています。どうやら意図的に土偶を割って撒いているよう。確証はありませんが、意図的に撒いている理由が、ハイヌウェレ神話の追体験だったとしたら。

つまり日本にハイヌウェレ型神話があった。死体から穀物が発生するというアレです。この神話を追体験するために、最初は誰かを殺していた。殺してバラバラにして撒いていた。しかしそれではあまりにむごい、そこで代わりに土偶を割って撒くようになった。

では何故、ハイヌェレ型神話が発生するのか。

ハイヌウェレ型神話が発生している地域はほとんど「焼畑農業」をしていた土地であり、その時期に産まれています。焼畑農業は作物を植えて収穫すると次の土地に移動するという方法です。何故そんなことをするのか? 大きな理由は「肥料」と「連作障害」です。植物が花を咲かせ、実を付けるために必要なもの、それは「リン」です。葉野菜ならリンは無くてもいいですが、それ以外には絶対必要です。

話がそれますが、世界で起きている「食糧不足」って耕作面積の不足だと思っていませんか??
人口が増えて、食糧が不足している…のではありません。水不足や気候変動も理由ですが、リン鉱石の不足が原因です。実はアフリカや中国の山からリン鉱石を掘り出し、それを肥料に混ぜて撒いているから畑に実がなるんです。

リンを多く含むもの…それが人体です。

よく綺麗なサクラの木の下には死体が埋まっている、なんていいますが、あれが死体のリンが作用して花が咲きやすくなるってことです。焼畑農業ではリンが不足しやすかったのではないでしょうか??また連作障害が起きて二年目以降は作物が取れにくくなります。それに移り住んだ土地が肥えているとは限りません。まずは死体でリンを補給………まぁ妄想ですので本気にしないでください。

焼畑農業でハイヌウェレ神話が産まれるのはそういう理由からではないでしょうか、と個人的に思っています。
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