天香山・天香具山(アメノカグヤマ)

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天香山

漢字・読みアメノカグヤマ
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概要

天香山は畝傍山、耳成山とともに大和三山とされる。神としての「天香具山」は「アメノカグヤマ」を参考に。

藤原京の東にあることから、太陽信仰の中心的存在だったとされます。東が太陽が昇る方向だからです。山頂には国常立命(クニノトコタチ)を祭神とする国常立神社。北には櫛真智命神(クシマチノミコトノカミ)を祭神とする天香山(アメノカグヤマ)神社がある。南には天岩戸神社があります。

物語・由来

イザナギ、妻を失い、涙を流す
そしてイザナミの枕元や足元に這いまわり泣きました。
その涙から産まれたのはナキサワメ神です。
この女神は香具山のふもとの丘の木の下にいます。

思金神の策
次にアメノコヤネフトダマを呼び、天の香具山の鹿の骨を抜き取って、同じく天の香具山の桜の木で占いをさせました。
そして、天の香具山のサカキの木を一本抜いてきて、上に玉緒を、中段に八咫鏡を、下段には白と青の布を垂らしました。

第七段本文-2 八十万とも言われる多数の神々は
また天香山(アメノカグヤマ)の眞坂樹(マサカキ)を頭に巻いて鬘(カズラ=頭の飾り)としました。蘿(ヒカゲ【植物名】)を手繦(タスキ)に掛けて、焚火をして、桶を伏せて置いて、神が乗り移ったトランス状態となりました。

第七段一書(一)稚日女尊の死と日矛と鏡
そこで石凝姥(イシコリドメ)が鍛冶士となって、天香山から金を採って来て、日矛(ヒボコ)を作りました。

第七段一書(三)-2これほど素晴らしい歌は聞いたことが無い
アメノコヤネは天香具山(アメノカグヤマ)の眞坂木(マサカキ=植物名)を掘り出して、上の枝には鏡作(カガミツクリ)の遠い祖先の天拔戸(アマノヌカト)の子供の石凝戸邊(イシコリトベ)が作ったが作った八咫鏡(ヤタノカガミ)を掛け…

九月甲子朔戊辰(一)天平瓮と嚴瓮と酒と嚴呪詛
夢に天神(アマツカミ)が現れ、言いました。
「天香山(アマノカグヤマ)の神社の土(ハニ)を取って、天平瓮(アマノヒラカ=酒杯)を八十枚作り、嚴瓮(イツヘ=酒瓶)を造り、天津神国津神を祀り、嚴呪詛(イツカノカシリ=強い呪い)をかけなさい。それで敵軍は自然と従うだろう」

九月甲子朔戊辰(二)椎根津彦と弟猾に変装させて
そこで天香山(アマノカグヤマ)の土を取って、それで天平瓮(アマノヒラカ)を作って、天社(アマツヤシロ)や国社(クニツヤシロ)の神を祀り、その後に敵を討てば、簡単に撃破出来るでしょう

己未年春二月壬辰朔辛亥(二)磐余邑の別説、と猛田・城田・頰枕田・埴安の地名説話
天皇は前の年の秋九月をもって、天香山(アマノカグヤマ)の埴土(ハニツチ=粘土質の土)を取って、八十平瓮(ヤソノヒラカ)を作り、自ら齋戒(モノイミ=血や死の穢れや女性に触れずに清らかな生活をすること)をして、諸々の神を祀りました。それで区宇(アメノシタ)を静めました(=安定させました)。そこで土を取った場所を埴安(ハニヤス)といいます。

崇神天皇(十三)謀反の徴(日本書紀)
「これは武埴安彦(タケハニヤスヒコ)が謀反(ミカドカタブケ)を起こす表(シルシ)でしょう。私が聞いた所によると、武埴安彦(タケハニヤスヒコ)の妻の吾田媛(アタヒメ)は密かに倭の香山(カグヤマ)に来て、土を取り、領巾(ヒレ=女性が襟から肩にかけた布)の頭(ハシ)に包んで呪いを掛けて『これは倭国(ヤマトノクニ)の物実(モノシロ…モノは霊、シロは代表)』と言って、帰って行ったのです。
何か事件があると知りました。速やかに対処しなくては、必ず手遅れとなるでしょう」
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解説


神武東征のときは天香具山の土で「甍(イラカ=皿)」をつくって誓約をしています。また崇神天皇のときは武埴安彦(タケハニヤスヒコ)と吾田媛(アタヒメ)が香具山の土で「呪い」をかけるという物語が残っています。

神話の時代では天香具山の榊を儀式に利用するなど、「天香具山」には「霊威」があるという認識があったよう。

個人的コラム

香具山は特定の山ではないのではないか?
思金神の策
次に天の安河の上流の岩と、天の金山の鉄を材料に、鍛冶屋アマツマラと鏡の神イシコリドメに八咫鏡を作らせました。
とあるように、「金山」は「金属が取れる山」という意味です。「香具山」は「香る山」という本来は漠然とした意味なんじゃないでしょうか。もちろん、のちには特定の山を指すことにはなるのですが。

例えば、「ヤマト」が本来は「山に囲まれた土地」という漠然な意味を指して、のちに特定の土地を指すようになったようにです。

香具山を「香る山」とサラっと書きましたが、「香具山」「香久山」「香山」も全て「カグヤマ」と読むので、「香」というのは意味があるハズです。無関係なのに「香」という字はあてないのです。

それで何が香るのか?
素直に考えると「酒」ではないでしょうか。
九月甲子朔戊辰(一)天平瓮と嚴瓮と酒と嚴呪詛
「天香山(アマノカグヤマ)の神社の土(ハニ)を取って、天平瓮(アマノヒラカ=酒杯)を八十枚作り、嚴瓮(イツヘ=酒瓶)を造り、天津神国津神を祀り、嚴呪詛(イツカノカシリ=強い呪い)をかけなさい。それで敵軍は自然と従うだろう」

上では天香山の土で焼いた嚴瓮(=酒瓶)を奉納して呪いをかけています。当然「嚴瓮」には酒が入っているわけです。

酒に関わる物語は非常に多く、古代では「酒」が特別視されています。神が酒を作る、神に酒を捧げるということが、大和朝廷にとって重要だったのでしょう。

大和朝廷は宗教連合国家です。
神を祀ることが大事な仕事です。
神をうまく鎮めることが大和朝廷の権力を支えていたのでしょう。
その「鎮魂」に酒が重要な役割を持っていました。
人が飲んで「うまい」と思う酒は、神をも感動させられます。ならば神の機嫌を良くすることで、災害や気候変動を避けられると考えていました。だから、良い酒を作ることは大和朝廷の権力を支えることになるのです。

酒の良い香りがするほどの山は素晴らしいのです。良い米が取れて、豊富な水があり、うまい酒が作れる。それで「香久山」なんじゃないか?と。
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