第七段本文-2 八十万とも言われる多数の神々は

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第七段本文-2 八十万とも言われる多数の神々は

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原文

于時、八十萬神、會於天安河邊、計其可禱之方。故、思兼神、深謀遠慮、遂聚常世之長鳴鳥使互長鳴。亦、以手力雄神、立磐戸之側、而中臣連遠祖天兒屋命・忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡(一云、眞經津鏡)、下枝懸靑和幣(和幣、此云尼枳底)・白和幣、相與致其祈禱焉。又、猨女君遠祖天鈿女命、則手持茅纒之矟、立於天石窟戸之前、巧作俳優。亦、以天香山之眞坂樹爲鬘、以蘿(蘿、此云此舸礙)爲手繦(手繦、此云多須枳)而火處燒、覆槽置(覆槽、此云于該)、顯神明之憑談(顯神明之憑談、此云歌牟鵝可梨)。
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現代語訳

第七段本文-2
八十万とも言われる多数の神々は天にある川辺(天安河邊=アメノヤスノカワラベ)に集まって、対応策を話し合いました。

その神の一人である思兼神(オモイカネ)はよくよく考えてよくよく計画を練りました。
まず常世の国の長鳴鳥(ナガナキドリ)を集めて鳴かせました。
次に手力雄神(タヂカラオ=アメノタヂカラオ)に岩戸の前に立たせました。
中臣連(ナカトミノムラジ)の遠い祖先の天兒屋命(アメノコヤネ)と忌部(イムベ)の遠い祖先の太玉命(フトダマ)が、天香山アメノカグヤマ)の五百箇の眞坂樹(イホツノマサカキ=よく茂った榊【サカキ・樹木名】)を掘り出し、上の枝には八坂瓊の五百箇御統(ヤサカニノイホツミスマル=大きな勾玉をたくさん紐で連ねたもの)を掛け、中ほどの枝には八咫鏡(ヤタノカガミ)を掛け、
別名を眞經津鏡(マフツノカガミ)と言う

下の枝には青和幣(アオニキテ=蒼い麻の布)と白和幣(シロニキテ=白い木綿の布)を掛けて、皆でアマテラスが岩戸から出てくるように祈りました。

また猨女君(サルメノキミ)の遠い祖先である天鈿女命(アメノウズメ)は手に茅纏の矛(チマキノホコ=ススキ【カヤ】を巻いた矛)を持って、天石窟戸(アメノイワヤト)の前に立って、見事に踊って見せました。

また天香山(アメノカグヤマ)の眞坂樹(マサカキ)を頭に巻いて鬘(カズラ=頭の飾り)としました。蘿(ヒカゲ【植物名】)を手繦(タスキ)に掛けて、焚火をして、桶を伏せて置いて、神が乗り移ったトランス状態となりました。
蘿は此舸礙(ヒカゲ)と読みます。
手繦は多須枳(タスキ)と読みます。
覆槽は于該(ウケ)と読みます。

古事記の対応箇所
思金神の策
なにごとかと覗く
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解説

日本らしいことに、スサノオの暴走の結果、アマテラスがご機嫌を損ねてしまった対応策を、神々が天の川辺で話し合います。

話し合いですよ。

神様だからといって絶対的な力を持っているのはなく、それぞれの性質をうまく使って、困難を打開していくというのは実に日本的。それを集まって話し合いで決めるのです。現代の会社の会議みたい。で、その結果が思兼神(オモイカネ)の提案した儀式…というかお祭りですね。
長鳴き鳥
鶏のこととされます。朝にコケコッコーと鳴く鶏は、アマテラスが岩戸に引きこもって永遠の夜となった現状にはピッタリ。
参考:玉祖神社(防府市)に黒柏という長鳴き鶏が飼われています。
アメノウズメは神ではないのでしょう
アメノウズメはカヤを巻いた矛を持って、日陰カズラというシダのようなコケのような植物をタスキに掛けて、サカキの木を髪飾りにし、火を焚いて、桶を台にして踊り狂い、神がかります。

神様なのにカミガカルって変です。

アメノウズメは元々は巫女だったんでしょう。当時の巫女さんって、乳房をあらわにしてアソコも晒して踊り狂う、大変なお仕事だったのですねぇ(古事記にはそう書いてあります)。
参考:露出する神話の女神
桶について
オケではなく「ウケ」と書いてあります。オケというと水を貯めるものですが、この場合の「ウケ」はおそらく、儀式に使う太鼓のようなものではなかったかと。

個人的コラム

ヒカゲカズラ
日陰カズラは山の中のジメジメした場所で、地面に広がる植物です。なぜこの植物を神聖視したのかは、ハッキリとは分かりません。
別の視点から
神と熊は音が似ています。これは偶然では無くて、どちらも「見えないもの」という意味の「隈」から来ているためと言われています。隈は冬眠して居なくなるので、そう呼ばれたんでしょう。

日本人は山を神聖視していました。

山に雨が降り、その雨が川となって里に流れて農業を行う、ということもありますし、山から精霊が春にやってきて、畑に宿って実り、収穫後には山に帰っていくという「季節信仰」というか「季節循環」というか、そういう日本人の世界観に山は大きな役割を果たしていました。

また海洋民族である日本人にとって、半島のような海に出張った山は、気候を見たり、船の監視などに便利なので、これまた特別視していました。
日蔭は山に
ヒカゲは大きな樹木が生える森の根元に生える植物で、いかにも「神」が居そうに思ったんじゃないか??というのが個人的な意見です。

またヒカゲが生える場所は湿っぽいわけで、そういう山は水を蓄える力が強かったはずです。
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