第七段一書(三)-2これほど素晴らしい歌は聞いたことが無い

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第七段一書(三)-2これほど素晴らしい歌は聞いたことが無い

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原文

至於日神閉居于天石窟也、諸神遣中臣連遠祖興台産靈兒天兒屋命而使祈焉。於是、天兒屋命、掘天香山之眞坂木、而上枝縣以鏡作遠祖天拔戸兒石凝戸邊所作八咫鏡、中枝懸以玉作遠祖伊弉諾尊兒天明玉所作八坂瓊之曲玉、下枝懸以粟国忌部遠祖天日鷲所作木綿、乃使忌部首遠祖太玉命執取、而廣厚稱辭祈啓矣。于時、日神聞之曰「頃者人雖多請、未有若此言之麗美者也。」乃細開磐戸而窺之。

現代語訳

第七段一書(三)-2
日の神は天の岩屋に籠ってしまいました。神々の中は、中臣連(ナカトミノムラジ)の遠い祖先である興台産靈(コゴトムスビ)の子供の天兒屋命(アメノコヤネ)に祈らせました。

そのとき、アメノコヤネは天香具山(アメノカグヤマ)の眞坂木(マサカキ=植物名)を掘り出して、上の枝には鏡作(カガミツクリ)の遠い祖先の天拔戸(アマノヌカト)の子供の石凝戸邊(イシコリトベ)が作ったが作った八咫鏡(ヤタノカガミ)を掛け、

中ほどの枝には玉作(タマツクリ)の遠い祖先である伊奘諾尊(イザナギ)の子供の天明玉(アメノアカルタマ)の作った八坂瓊之曲玉(ヤサカニノマガタマ)を掛け、

下の枝には粟国(アワノクニ)の忌部の遠い祖先である天日鷲(アメノヒワシ)が作った木綿を掛け

忌部首(イミベノオビト)の遠い祖先である太玉命(フトダマ)が取り仕切って、厚く祝詞(ノリト)を歌い、奉りました。

そのとき、日の神がこの祝詞を聞いて
「この頃、沢山の人が歌うのだけど、これほど素晴らしい歌は聞いたことが無い」
と言い、岩戸をほんのちょっと開いて、岩戸の外の様子を伺いました。
古事記の対応箇所
天岩戸に籠る
思金神の策
なにごとかと覗く
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解説

歌が天変地異を鎮め、世界を救う
サカキに括りつけた玉とか布とか鏡の作者に関してはまだ細かいチェックをしていないので、割愛。きっといろいろと推測が出来るのでしょうけど。

問題は、祝詞を聞いた日の神ことアマテラスが、「すげぇ! 感動した!」と岩戸の外を覗くというのが、このページの特殊さです。

古事記では「なにごとかと覗く」で、アメノウズメの「アマテラスよりも優れた神がやってきたから」というハッタリに騙されて引っ張り出されます。

日本書紀の「第七段本文-3 中臣神と忌部神はお願いしました。」では、アマテラスが岩屋を少し開ける動機は「岩屋の外で宴会をしているから、なんだろう?と思って」です。

日本書紀の「第七段一書(二)-1日神が臭くなる」「第七段一書(二)-2 吉棄物・凶棄物・白和幣・青和幣」ではアマテラスが岩屋の外に出る動機はハッキリしません。儀式をしたから、日の神が帰ってきた、と言う程度です。
歌謡が神を動かす
万葉集や古今和歌集といった「歌」や源氏物語・竹取物語といった「文学」が、世界の隅っこであり、決して文明国ではないはずの古代日本で発達した理由がここにあります。
歌や文学は魔力を持ち、天変地異を鎮める力があると考えているからです。その根っこを一言で言うと「言霊(コトダマ)」ということになります。

個人的コラム

あくまで個人的な見解ですが…

日本人は歌や物語に「魔力」があると考えていました。その魔力は世界を豊かにすることもできますし、破滅させることも出来ます。

アマテラスはスサノオの罪によって岩屋に籠ることになり、そこから引っ張り出したのは、アメノウズメの舞踊であり、アメノコヤネの祝詞であり、儀式であり、飲めや歌えの朝まで続く大宴会でした。儀式と言うと堅苦しい感じがしますが、宴会するには理由が必要です。そういう意味では宴会と儀式は互いにその存在理由を持ち合う関係になります。

これらには天変地異を鎮めるほどの力がありました。そう日本人は考えていました。それがこの日本書紀第七段で語られています。

その中で歌には格別強い意味があったのではないか?と思っています。

平安時代になると貴族は歌を読み、歌の力によって政治を行おうとします。もちろんそんなことは現実には無いのですが、日本人はシステムではなく、「言葉」で現実を覆い隠そうとしました。

現在の憲法九条と同じ理屈です。日本を守るのは軍隊であって、言葉ではないのですが、言葉に頼ろうとします。これも日本人の言霊信仰の結果と言われています。

つまり古代の日本人の世界観に近いのはこの「第七段一書(三)」の「歌が天変地異を鎮める」という感覚ではないか?というのが私の意見です。

ではどうして複数の見解があるのか?となります。日本の複数の氏族があり、彼らは儀式の役割を分担していましたから、その中で「自分の役割こそ重要」という見解から、それぞれの氏族でそれぞれの神話が派生したのかな、と考えています。
儒教の影響??
もしくは、儒教の影響かもしれません。儒教では「物語」を認めていません。詩歌は認めるのですが、それも「感情表現」程度のことで、日本のように「歌」が魔力を持って天変地異を鎮めるほどの霊力があると考えていません。

それで歌や踊りがキッカケとなって天変地異を鎮めるのではなく、物語上、比較的合理的な理屈によって解決させようとしたのではないか??とも思います。そうして物語が複数派生したのかもしれません。
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