料理人クシヤタマ神

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料理人クシヤタマ神

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原文

如此白して、出雲国の多芸志の子浜に、天の御舎を造りて、水戸神の孫、櫛八玉神、膳夫と為りて、天の御饗を献りし時に、祷き白して、櫛八玉神、鵜に化りて、海の底に入り、底の波邇を咋ひ出でて、天の八十毘良迦を作りて、海布の柄を鎌りて、燧臼に作り、海蓴の柄を以ちて燧杵に作りて、火を鑽り出でて云ひけらく、

現代語訳

オオクニヌシはそう言ったので、出雲の多芸志(タギシ)の浜に天の御舎(=神殿)を建てました。

水戸神(ミナト神)の孫の櫛八玉神(クシヤタマ神)が膳夫(=料理人)となり、天の御饗(=神に捧げる食物)を献上する時に、櫛八玉神(クシヤタマ神)が鵜(ウ)となって、海底にもぐり、波邇(=粘土)を咥えて出て、それで天の八十毘良迦(=皿)をつくって、海草の茎を刈って燧臼(ヒキリ臼)を作り、海蓴(コモ)の茎を刈って燧杵(ヒキリ杵)を作り、火を起こして、言いました。
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解説

八十毘良迦(ヤソビラカ)のヤソは修飾語、まぁ「とてもすごい」くらいの意味。ヒラカは平たい土器。まぁ、お皿ですね。

ミナト神は「神を生み始める」に登場した河口を司る神。ここで登場したのは単に海に関わる物語だから?なのかもしれません。
ヒキリ?
クシヤタマ神は海の底の泥で皿を作り、海草から臼(ウス)、コモという名の海草の一種と思われるもので杵(キネ)を作ります。この二つのアイテムの名前は「ヒキリ(燧)臼・ヒキリ(燧)杵」といいます。この「ヒキリ」は「火」「切る」です。この段では火を臼と杵で起こしていますが、本来は火打石で火花を作って、それを萌えやすいものに移すのが一般的。火は石と石をぶつけて起こすものです。これが「火は切るもの」になっていったと思われます。

「切り火」
江戸時代におかっぴきが、出かける時に「厄除け」としてするものにもなります。切り火は火が神聖なものでケガレを落とすという考えが根底にありますが、切り火自体は明治以降の火打ち石業界の宣伝策略から生まれた風習という意見もあります。
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