幽界へ隠退いたしましょう

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幽界へ隠退いたしましょう

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原文

爾に答へ白しけらく、「僕が子等、二はしらの神の白す隨に、僕は違はじ。此の葦原中国は、命の隨に既に献らむ。唯僕が住所をば、天つ神の御子の天津日継知らしめす登陀流天の御巣如して、底津石根に宮柱布斗斯理、高天の原に氷木多迦斯理て治め賜はば、僕は百足らず八十くま手に隠りて侍ひなむ。亦僕が子等、百八十神は、即ち八重事代主神、神の御尾前と為りて仕へ奉らば、違ふ神は非じ。」とまをしき。

現代語訳

オオクニヌシは答えました。

「わたしの子達の二柱の神が言ったとおりに、わたしは背きません。この葦原中国(日本)は命ずるままに献上しましょう。
ただし、わたしの住居として、天つ神の御子が継ぐ神殿のように、底津石根(=地底)に太い柱を立て、空に高々とそびえる神殿を建てるならば、わたしは遠い幽界に下がりましょう。

わたしの子の百八十神(=大勢の神)は、八重事代主神(ヤエコトシロヌシ神)が神々の前に立てば、背く神は居ないでしょう」
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解説

百足らず八十くま手は、「遠く遠く離れた場所」転じて「黄泉の国」であり「幽界」とされます。黄泉の国は意訳ですから、幽界とします。

これにてオオクニヌシは幽界の王となります。先祖であるスサノオと似たような運命ですね。

しかし、太い柱と高い神殿が出雲にあるわけですから、幽界といっても、出雲なんですよね。よく「大国主は死んだ」という解釈がされるのですが、これはオオクニヌシ――出雲が表立たない程度の意味合いではないでしょうか? この段の最後の方、「コトシロヌシが神々の前に立てば」としていることから、出雲の神々は反抗はしないでも、今後も各地の神として存在し続けるということです。それに、天の逆手を打って青柴垣に身を隠したはずのコトシロヌシも決して「死んだ」とか「隠居した」とかではなく、むしろ出雲の神々の先頭に立って役割を果たすということになります。

あと「背く神は居ない」ということは、コトシロヌシには相当に権力のあったことが分かります。
そびえ立つ神殿
高い神殿のことについては日本書紀にもあります。日本書紀にはオオナモチ(=オオクニヌシ)のために高天原がかなり譲歩している様子が細かく書かれているところを見るに、高天原が「奪った」という認識は早計に思いますね。
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