第十段一書(四)−4隼人の溺れる所作

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第十段一書(四)−4隼人の溺れる所作

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原文

海神召赤女・口女問之、時口女、自口出鉤以奉焉。赤女卽赤鯛也、口女卽鯔魚也。

時、海神授鉤彦火火出見尊、因教之曰「還兄鉤時、天孫則當言『汝生子八十連屬之裔、貧鉤・狹々貧鉤。』言訖、三下唾與之。又兄入海釣時、天孫宜在海濱、以作風招。風招卽嘯也、如此則吾起瀛風邊風、以奔波溺惱。」火折尊歸來、具遵神教。至及兄釣之日、弟居濱而嘯之、時迅風忽起。兄則溺苦、無由可生、便遙請弟曰「汝久居海原、必有善術、願以救之。若活我者、吾生兒八十連屬、不離汝之垣邊、當爲俳優之民也。」於是、弟嘯已停而風亦還息。故、兄知弟德、欲自伏辜、而弟有慍色、不與共言。於是、兄著犢鼻、以赭塗掌塗面、告其弟曰「吾汚身如此、永爲汝俳優者。」乃舉足踏行、學其溺苦之狀、初潮漬足時則爲足占、至膝時則舉足、至股時則走廻、至腰時則捫腰、至腋時則置手於胸、至頸時則舉手飄掌。自爾及今、曾無廢絶。
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現代語訳

第十段一書(四)−4
海神(ワダツミ)は赤女(アカメ=鯛)と口女(クチメ=ボラ)を呼び寄せて問いました。その時、口女(クチメ)の口から釣り針を出して、献上しました。赤女(アカメ)は赤鯛です。口女(クチメ)は鯔魚(ナヨシ=ボラ)です。

海神(ワダツミ)は鉤(チ=釣り針)を彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)に授け、そして教えました。
「兄にこの釣り針を返す時に天孫(アメミマ)はこう言いなさい。
『お前の生子(ウミノコ)
八十連屬(ヤソツヅキ)の末裔まで
貧鉤(マヂチ=貧乏針)
狹狹貧鉤(ササマヂチ=もっともっと貧乏針)』

と言い、いい終えたら、三回唾を吐いて、これ(=釣り針)を与えなさい。また、兄が海に入ってつりをするときに、天孫は浜辺に行き、風招(カザオキ)をしなさい。
風招(カザオキ)は嘯(ウソブク=口をすぼめて息を吐く、吠える)ことです。

そうすれば私(=海神)が瀛風(オキツカゼ)・邊風(ヘツカゼ)を吹いて速い波を起こし溺れさせて困らせましょう」
火折尊(ホオリノミコト)は故郷に帰って来て、海神に教えられた通りにしました。兄は釣りをする日になり、弟は浜に居て嘯きました。すると速い風がたちまち起こり、兄は溺れ苦しみ、今にも死にそうになりました。それで遠い浜辺の弟に哀願しました。
「お前は永く海原に居たのだろう。必ずや良い方法があるだろう。頼むから助けて欲しい。もしも、私を助けれくれれば、わたしの生兒(ウミノコ)八十連屬(ヤソツヅキ)にお前の宮殿の外壁のそばを離れず、俳優(ワザオサ)の民となろう」
それ弟は嘯(ウソブ)くことを止めました。すると風もまた止まりました。兄は弟に徳(=不思議な力)があると知って、自分から従いたいと思いました。ところが弟はそれでもまだ怒っていて、口を聞いてくれませんでした。そこで兄は著犢鼻(タフサギ=上半身裸のふんどし一丁)になって、赭(ソホニ=赤土)を手や顔に塗って、弟に言いました。
「私はこのように体を汚しました。永遠にあなたの俳優者(ワザオサヒト)になります」
それで足を挙げてバタバタとさせ、その溺れ苦しむ様子を演じました。初め塩水が足に浸かったときに足占(アシウラ)をするようにします。塩水が膝まできたときは足を挙げ、股に至る時は走り回り、腰に至ったときは腰を撫で、脇に至ったときは手を胸に置き、首に至ったときは手を挙げて飄掌(タヒロカス=ヒラヒラ)させました。それから今日まで、この舞は絶えず続いています。
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解説

魏志倭人伝の記述と
魏志倭人伝には「倭人は身に朱丹を塗っている」とあります。この朱丹というのは赤い土のことで、体に赤土を塗るのは皮膚病予防のためです。皮膚病予防の為に赤土を塗るのは南方の文化で、倭人が南方の文化を強く受けている証拠です。

ここでは隼人の先祖であるホノスセリが俳優者となった証として全身を汚しました。その様子として「上半身に赤土を塗った」とあります。

これから考えると隼人は南方系文化に影響を受けた集団で、この神話も皇統とは無関係に存在したものを皇統に取り込んだだけと考えた方がいいでしょう。

また、隼人・九州南部は沖縄・台湾・東南アジア・中国南部と交易があったのかもしれません(個人的にはそう思っている)。
散りばめられる儀式
●貧鉤(マヂチ)の呪い
●風招(カザオキ)・嘯(ウソブ)く
●俳優の民
●溺れる所作

個人的コラム

溺れる所作
溺れる所作の舞を見ると、これって船が沈みかけたときの対応のマニュアルなんじゃないか?とも思いました。
溺れる所作の起源は?
一般に「従属」を表しているとも言われていますが、わたしはそう単純ではないと思います。

このページで弟のご機嫌を取る為に舞を踊っているのも、隼人が「海神の機嫌を取る」舞としてやっていたものを大和朝廷が神話に組み込んだ結果、「従属」というニュアンスを含むようになったという程度ではないかと。なにせ海というのは突然荒れて、嵐に巻き込まれるとひとたまりもありません。神の気まぐれによって命が簡単に失われる世の中だったのです。神の機嫌を取らないでは居られないでしょう。
●溺れる所作をすることで、神に「あなたには叶いません」と伝える。

九州南部・隼人と大和
また個人的な見解ですが…
九州南部は米が取れず、米を通貨のように利用して徴税していた大和朝廷にはなかなか参加出来ませんでした。また東南アジアとの貿易によって立国していたので、参加する意味もありませんでした。

そこで大和朝廷は朝鮮ルートによる貿易航路を開拓しました。これが4世紀。特に百済から中国の文化が流入しました。結果、交易ルートが分散してしまい、九州南部は役割が弱まり、隼人の国は弱体化したので大和朝廷に参加した。これが5・6世紀。ところが6・7世紀に日本は朝鮮半島の足がかりを失う。そこでまた九州南部の役割は大きくなった。

隼人は「狗人」とも言っています。狗というとあまりイイ意味には聞こえませんが、「吠える」ことが魔を祓うという感覚があったので、「狗」が卑下した言い方というのは、現代人の誤解ではないかと。また溺れる所作も、従属というよりは単に隼人の宗教を大和朝廷が飲み来んだだけだと思っています。それは隼人の住む地域が大和にとっては新しい文化と富が入る要衝血だからです。
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