スポンサードリンク
第十一段本文彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の系譜
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、以其姨玉依姫爲妃、生彦五瀬命、次稻飯命、次三毛入野命、次神日本磐余彦尊、凡生四男。久之彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、崩於西洲之宮、因葬日向吾平山上陵。
現代語訳
第十一段本文
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)はその叔母(母の豊玉姫の妹)の玉依姫(タマヨリヒメ)を妃として、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を産みました。
次に稻飯命(イナイイノミコト=稲飯命)を産みました。
次に三毛入野命(ミケイリノノミコト)を産みました。
次に神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)を産みました。
すべて男の子でした。
しばらくして彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)は西洲之宮(ニシノシマノミヤ)で亡くなりました。そこで日向の吾平山(アヒラノヤマ)の山野の上にある稜(=墓)に葬りました。
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)はその叔母(母の豊玉姫の妹)の玉依姫(タマヨリヒメ)を妃として、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を産みました。
次に稻飯命(イナイイノミコト=稲飯命)を産みました。
次に三毛入野命(ミケイリノノミコト)を産みました。
次に神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)を産みました。
すべて男の子でした。
しばらくして彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)は西洲之宮(ニシノシマノミヤ)で亡くなりました。そこで日向の吾平山(アヒラノヤマ)の山野の上にある稜(=墓)に葬りました。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
日本書紀神代下の表紙へ
- Page49 第十段一書(四)−2湯津杜樹に昇って居てください
- Page50 第十段一書(四)−3三床を設けて
- Page51 第十段一書(四)−4隼人の溺れる所作
- Page52 第十段一書(四)−5眞床覆衾と草でその赤ん坊を包んで波瀲に
- Page53 第十一段本文彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の系譜
- Page54 第十一段一書(一)(二)(三)(四)系譜の異伝
スポンサードリンク