第十段一書(四)−5眞床覆衾と草でその赤ん坊を包んで波瀲に

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第十段一書(四)−5眞床覆衾と草でその赤ん坊を包んで波瀲に

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原文

先是、豊玉姫、出來當産時、請皇孫曰、云々。

皇孫不從、豊玉姫大恨之曰「不用吾言、令我屈辱。故自今以往、妾奴婢至君處者、勿復放還。君奴婢至妾處者、亦勿復還。」遂以眞床覆衾及草、裹其兒置之波瀲、卽入海去矣。此海陸不相通之緣也。一云、置兒於波瀲者非也、豊玉姫命、自抱而去。久之曰「天孫之胤、不宜置此海中。」乃使玉依姫持之送出焉。初、豊玉姫別去時、恨言既切、故火折尊知其不可復會、乃有贈歌、已見上。八十連屬、此云野素豆豆企。飄掌、此云陀毗盧箇須。

現代語訳

第十段一書(四)−5
(兄が弟に従う前の話)豊玉姫(トヨタマヒメ)が海から来て、子を産むときに皇孫(スメミマ)に御願いして言いました。云々…

皇孫(スメミマ)はその言葉に従わず豊玉姫の出産の様子を覗きみてしまいました。豊玉姫はとても恨み
「わたしの言葉を無視してわたしに恥を掻かせましたね。これより、わたしが奴婢(ツカイヒト)をあなたのところに送れば、無事に帰さないでも結構。あなたが奴婢(ツカイヒト)を私の元に送ってもまた、帰さないでも結構です」
そして眞床覆衾(マドコオフスマ)と草(カヤ)でその赤ん坊を包んで波瀲(ナギサ)に置いて、海に入って行きました。これが海と陸が交わらない理由です。
別伝によると……
赤ん坊を波瀲(ナギサ)に置かなかった。豊玉姫は自分で抱いて、赤ん坊とともに去って行きました。

しばらくたって、豊玉姫が言いました。
「天孫(アメミマ)の子供をこの海の中で育てるのは、おかしい」
それで玉依姫(タマヨリヒメ)に赤ん坊を送らせました。

豊玉姫が天孫と別れるときに、恨み言があまりにキツいものでした。それで火折尊(ホオリノミコト)は「二度と遭えないのだな」と知り、歌を送りました。その歌はすでにあげてあります。
八十連屬は野素豆豆企(ヤソツヅキ)と読みます。飄掌は陀毗盧箇須(タヒロカス)と読みます。
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解説

訳に関して
訳本を読むと、「別れるときに豊玉姫は悲しんだ」「その様子を見てホオリは二度と遭えないと知った」とあるのですが、物語としても、文章上もおかしいので、「別れるときの豊玉姫の恨み言があまりにキツかったから」「ホオリは二度と遭えないと知った」と変更しました。
眞床覆衾(マドコオフスマ)
マドコオフスマは敷き布団です。ニニギの天孫降臨の際にも登場しました。ようは産まれたばかりの嬰児をつつむものです。よってニニギも嬰児だったということになります。
ちなみに「草(カヤ)」は強い植物で日本人は茅に霊力があると考えていました。穢れを祓う「夏越の祓い」で利用するのもカヤです。
また、農耕民族で「種子」が何倍にも増える性質を持っていることを特別視していた日本人にとって「嬰児」とは「種子」であり、将来大きく育つ魔力を持った特別な存在です。茅と嬰児をセットにするのは農耕民族だからでしょう。
神話の意味
海と陸が交流を持たなくなった…という書き方をしましたが、「天」「地」が別れるのと同様に、元々は「海」「陸」が別れたという神話なのかもしれません。
ホオリが歌った恋の歌
第十段一書(三)−5沖つ鳥鴨着く島に我が率寝し妹は忘らじ世のことごとも
にあります。
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