仁賢天皇(三)皇后と子息子女

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仁賢天皇(三)皇后と子息子女

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現代語訳

(即位1年)2月2日。以前からの妃だった春日大娘皇女(カスガノオオイラツメノヒメミコ)を皇后としました。
春日大娘皇女は大泊瀬天皇(オオハツセノスメラミコト=雄略天皇)が和珥臣深目(ワニノオミフカメ)の娘の童女君(オミナギミ)を娶って産んだ子です。

それで1人の男と6人の女を生みました。その一人が高橋大娘皇女(タカハシノオオイラツメノヒメミコ)といいます。二人目が朝嬬皇女(アサヅマノヒメミコ)といいます。三人目が手白香皇女(タシラカノヒメミコ)といいます。4人目が樟氷皇女(クスビノヒメミコ)といいます。5人目が橘皇女(タチバナノヒメミコ)といいます。6人目が小泊瀬稚鷦鷯天皇(オハツセノワカサザキノスメラミコト=武烈天皇)といいます。この天皇は天下を治めるにあたり、都を泊瀬列城(ハツセノナミキ)に移しました。7人目は真稚皇女(マワカノヒメミコ)といいます。
ある本によると、樟氷皇女(クスビノヒメミコ)を第三子に連ねて、手白香皇女(タシラカノヒメミコ)を第四子に連ねて、異なっている。

次に和珥臣日爪(ワニノオミヒツメ)の娘の糠君娘(アラキミノイラツメ)が、一人の女を生みました。春日山田皇女(カスガヤマダノヒメミコ)です。
ある本によると…「和珥臣日触(ワニノオミヒフレ)の娘の大糠娘(オオアラノイラツメ)が、一人の女を生みました。これが山田大娘皇女(ヤマダノオオイラツメノヒメミコ)…別名を赤見皇女(アカミノヒメミコ)といいます。」文は異なっているが、その実はひとつです。


冬10月3日。弘計天皇(オケノスメラミコト=顕宗天皇)を傍丘磐杯丘陵(カタオカノイワツキノオカノミサザキ)に葬りました。この年、太歲戊辰でした。
古事記の対応箇所
仁賢天皇の皇后と子息子女
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解説

仁賢天皇は父の仇である雄略天皇の娘を皇后として、次の天皇となる武烈天皇をもうけたわけです。物語の中では弟の顕宗天皇は雄略天皇を激しく憎み、墓を暴こうとし、それを兄の仁賢天皇が止めたのだから、仁賢天皇は冷静な人物であり、雄略天皇への憎しみは薄いのかもしれません。しかし、娘を皇后にしたというのは、どうもね。

わたしとしては、天皇というものが「皇女」を嫁にもらうことが条件だったんじゃないか?と考えています。ひっくり返すと、執政者としての権力は天皇ですが、権力の根拠というのが皇女にあった。皇女の女としての霊威と、皇族の血の霊威があって、権力の根拠とした。だから皇女と結婚しないといけない。なんというか、皇女は魔法少女の「魔法のステッキ」みたいなもので、魔法少女に変身するには魔法のステッキが必要ですが、変身後に主体的に行動するのはあくまで主人公なわけです。だから主人公=魔法少女なんですよ。でも魔法のステッキが無いなら、そもそも魔法少女でありえ無い。「天皇」と「皇后(皇女)」って、そういう関係性だったんじゃないかなぁ、と。
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原文

二月辛亥朔壬子、立前妃春日大娘皇女、爲皇后。春日大娘皇女、大泊瀬天皇娶和珥臣深目之女童女君所生也。遂産一男六女、其一曰高橋大娘皇女、其二曰朝嬬皇女、其三曰手白香皇女、其四曰樟氷皇女、其五曰橘皇女、其六曰小泊瀬稚鷦鷯天皇、及有天下都泊瀬列城、其七曰眞稚皇女。一本、以樟氷皇女列于第三、以手白香皇女列于第四、爲異焉。次和珥臣日爪女糠君娘、生一女、是爲春日山田皇女。一本云「和珥臣日觸女大糠娘、生一女、是爲山田大娘皇女、更名赤見皇女。」文雖稍異、其實一也。冬十月丁未朔己酉、葬弘計天皇于傍丘磐杯丘陵。是歲也、太歲戊辰。
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