手白香皇女を娶り、天国排開廣庭尊が生まれる

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継体天皇(八)手白香皇女を娶り、天国排開廣庭尊が生まれる

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原文

三月庚申朔、詔曰「神祗不可乏主、宇宙不可無君。天生黎庶、樹以元首、使司助養、令全性命。大連、憂朕無息、被誠款以国家、世々盡忠、豈唯朕日歟。宜備禮儀奉迎手白香皇女。」甲子、立皇后手白香皇女、修教于內、遂生一男、是爲天国排開廣庭尊。(開、此云波羅企)。是嫡子而幼年、於二兄治後、有其天下。二兄者、廣国排武金日尊與武小廣国押盾尊也、見下文。

現代語訳

(即位1年)3月1日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「神祇(アマツヤシロクニツヤシロ)には主(キミ=神主)がいないわけにはいかない。宇宙(アメノシタ=天下)には君主がいないわけにはいかない。天は黎庶(オオミタカラ=百姓=国民)を生み、元首(キミ=王のこと)を助け養うように司って、性命(イノチ)は完全となっている。大連(=大伴大連のこと)は朕に子がいないことを憂えて、誠意から国家に代々忠義を尽くしている。どうして、ただ朕(ワレ)のためだけというのか(そんなわけがない国家のためだ)。礼儀を備えて手白香皇女(タシラカノヒメミコ=仁賢天皇の娘)を迎えよう」

3月5日。皇后の手白香皇女を立てて、後宮に関する政治をさせました。そして結果、ひとりの男子を生みました。これを天国排開廣庭尊(アメノクニオシハラキヒロニワノミコト=欽明天皇)といいます。
開は波羅企(ハラキ)と読みます。

嫡子(ムカイメバラノミコ=嫡妻の子=太子という意味ではない)で幼年でした。二人の兄が国を治めた後に天下を収めました。
二人の兄は広国排武金日尊(ヒロクニオシタケカハヒノミコト=安閑天皇)と武小広国押盾尊(タケオヒロクニオシタテノミコト=宣化天皇)です。以下の文に出てきます。
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解説

継体天皇が仁賢天皇の娘の手白香皇女を娶って産んだ子が「欽明天皇」です。しかし、継体天皇の次の天皇ではなく、継体天皇が即位する以前に娶った「尾張目子媛」の息子たちである安閑天皇と宣化天皇です。

ま、どうでもいいような気がします。なにせ先代の武烈天皇には子がおらず、後継がいない状態でした。継体天皇は、そういう「致し方のない」事情があってこその即位です。少なくとも記紀での記述はそうです(実際はどうかわからないけど)。ここで5代孫の「血の薄い」継体天皇が、「皇女ではない」妃との間に生まれた子を天皇とするのは、決して好ましいわけじゃないのですが、欽明天皇が幼い現状では「どうしようもない」というものです。ま、安閑天皇(在位4年)宣化天皇(在位3年)ではリリーフと見る方が真っ当でしょうね。
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