矢置岩

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矢置岩

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概要

吉備津神社(岡山市)の入り口にある岩です。丁寧な説明文があります。
まとめ
●温羅と吉備津彦の戦いの中で吉備津彦が矢を置いた岩。
●もともと、この岩がこの周辺の信仰対象だったんじゃないか?

物語・由来

吉備津神社(岡山市)の西北に温羅(ウラ)という鬼がいました。温羅(ウラ)は百済から来た鬼で、これを退治しに大和朝廷から派遣されたのが彦五十狭芹彦命(=吉備津彦)です。

彦五十狭芹彦命は吉備津神社の神体山とされる「中山」に陣取り、温羅(ウラ)は吉備津神社の西北の「新山」に陣取り、対峙しました。温羅(ウラ)は矢を撃ちました。彦五十狭芹彦命は矢を撃ちました。その矢と矢がぶつかり、落ちたところが「矢喰宮」です。

彦五十狭芹彦命が矢を撃つ時に、矢を置いた岩が「矢置岩」です。

歴史背景

温羅はどうやら「鉄製品技術者」のよう。彼らが吉備にやってきて、吉備の発展に貢献した。その後、大和朝廷に帰属した。その経緯が、この物語になったというのが、一般的な見方です。

でも、ちょっと待て。

この温羅の物語には幾つかの補足が必要でしょう。
鉄の生産と燃料
鉄製品を生産するためには、大量の燃料が必要です。燃料ってのは「木」です。発展すればするほどに消費量は増え、山の木が伐採されてしまいました。すると、土砂崩れが発生しやすくなる。温羅と吉備津彦「矢」には、「鉄製品」の意味もありますが、もう一つ「土砂崩れ・土石流」という意味もあったのだと思います。

矢喰宮が川の間に位置しているのは、そういう意味じゃないかと思うのですね。また中山と新山で、矢を打ち合って…というのも、何か関係あるんじゃないかと思います。
温羅は悪者ではない、というわけでもない
これは推測ですよ。温羅というか、鉄製品の技術者が来たことによって発展はしたが、同時に危険な状態になっていった。そこに大和朝廷が、解決案を提示した。
「鉄製品の技術者を放出しろ」
吉備で鉄生産を集中させているから、土砂崩れが起きるわけです。吉備で鉄鉱石が取れてるからって、吉備で作る必要はない。別の地域に分散させればいいじゃないか。これは吉備の民にとっても、難しい決断を要求するものです。鉄製品技術者を放出するということは、繁栄を手放すということです。
この葛藤の表れが「吉備津彦VS温羅」という戦いになったのではないかと思います。そして吉備が捨てた鉄技術者…その祟りへの恐れと、かつての信頼が、温羅に対する現在も続く崇敬につながると。
矢置岩
じゃ、矢置岩って何?っていうと、私は温羅・吉備津彦とは関係のないものだったんじゃないか?と思っています。

住吉神社(下関市)石鬼という石があります。また香取神宮鹿島神宮には要石という石があります。私はそもそも、「石」を信仰していた。そういう清らかな場所に「神社」を立てたのではないか?と考えています。

矢置岩があり、そこで信仰があった。そこに後々に吉備津神社が建てられた。日本人の性質上、神体だったものは、信仰から外れたとしても廃棄できない。祟りが怖いからです。そうしている間に、その岩に、吉備津神社にちなんだ物語が付与された。そうして「矢置岩」がそれなりの「神性」を持って残った。
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