住吉神社(下関市)

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住吉神社(下関市)

漢字・読みスミヨシジンジャ
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概要

住所山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
祭神住吉三神(荒魂)・応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命
延喜式では長門国一宮で名神大社。創建は神功皇后が朝鮮征伐から帰って来たときとするので4世紀中頃か。
駐車場デカイのがありました。
例祭御斎祭(オイミサイ)、12月8日から15日まで境内に注連縄を巡らせて、一般の人が入れないようにし、巫女・神主は境内の外へ出られなくする。これは境内から穢れを徹底的に排除する物忌みで、特別な時期には、方法は違えど、いろんな神社で行われます。おそらく「大祓い」に関係する神事ではないかと。

和布刈(メカリ)。神功皇后に関する神事。旧正月に壇ノ浦からワカメを刈ってきて供える非公開の神事。
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物語・由来

住吉三神を祀ったという記述があるのは日本書紀日本書紀では荒魂を穴門(アナト=長門=現在の山口県)の山田邑に立てた神社がこの住吉神社。
建御名方
祀られている神が5柱あり、そのうち住吉・応神天皇・武内宿禰命・神功皇后までは、古事記・日本書紀に関わる人物で、後々に合祀されたのだと思います。しかし、建御名方は違う。物語と全然関係ない。おそらくこの住吉神社が祀っていたのは、そもそも「建御名方命」だったのでしょう。

建御名方(タケミナカタ)といえば武甕雷(タケミカヅチ)に出雲の国譲りで諏訪に追い込まれた神です。諏訪という字を見ると「ス」はともかく「ワ」は絶対「ワ」とは読めないんですよ。似たような地名が山口県にあります。「周防(スオウ)」です。実は「周防」もそもそもは「スワ」と読んでいました。つまり、「諏訪」と「周防」はそもそも「同じ名前の土地」だったわけです。

これはおそらく「同じ文化」があったということです。その元は「宗像」だったのでしょう。よく、建御名方の「ミナカタ」は「宗像」が変化したものと言われます。もしくは「水潟(ミナカタ)」を意味しているとも言います。それで、どっちだろうか?と議論になるんですが、私は、「宗像」と「水潟」と「建御名方」は、そもそも同じ言葉だったんじゃないかと思っています。宗像は地名、水潟は地形、建御名方は神名と違いはあっても、同じ場所の同じ文化で、同じニュアンスを持った言葉だった。それが分化した。

その後、住吉の神がやってきて取り変わったが、日本人は祟りを恐れる性質があり、建御名方を捨てなかった。
そういうことではないかと。
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引用

神功皇后(十六)穴門の山田邑に荒御魂を祀る
軍に従った神の表筒男(ウワツツノオ)・中筒男(ナカツツノオ)・底筒男(ソコツツノオ)の三神は皇后に教えて言いました。
「我が荒魂(アラミタマ)を穴門(アナト=長門=現在の山口県)の山田邑(ヤマダノムラ)で祭りなさい」
その時、穴門直(アナトノアタイ)の祖先の踐立(ホムタチ)・津守連(ツモリノムラジ)の祖先の田裳見宿禰(タモミノスクネ)は皇后に言いました。
「神の居たいと思う土地を必ず定めて奉るべきです」
それで踐立(ホムタチ)をもって荒魂(アラミタマ)を祭る神主(カムヌシ)としました。それで祠(ヤシロ)を穴門(アナト)の山田邑(ヤマダノムラ)に立てました。
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神社や関連する土地

敷地内に食事処があり、駐車場が大きい。安心して停められる。

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