スポンサードリンク
タケミカヅチ
漢字・読み | 建御雷神 |
別名 | 武甕槌神・建雷命・建布都神・豊布都神 |
概要
イザナミが火の神カグツチを産んで女性器を火傷し、それがもとでもがき苦しみ死んでしまいます。最愛の妻を失ったイザナギは悲しみと怒りから、火の神カグツチを切り殺してしまいます。カグツチの首をはねたときに噴出した血から産まれた神の一柱がタケミカヅチ。またタケミカヅチは剣の神アメノオハバリの子供とされます。
武神・雷神
タケミカヅチ神を祀る「鹿島」は武人・剣士にとって特別な名前。神から授かった――みたいな感じがします。塚原卜伝の鹿島新当流の鹿島はここから来ています。空手や柔道など武道場に神棚があれば鹿島の文字が見られます。
●古事記では迦具土神を切った刀がアメノオハバリで、その子がタケミカヅチ。参考:オハバリ神とタケミカヅチ神 タケミカズチの方が適任
●日本書紀では剣の鍔(ツバ)から滴る迦具土神の血から生まれた。
●タケミカヅチは平安時代に隆盛を誇る「藤原氏」の祖先「中臣氏」の祖神とされます。
●常陸風土記には鹿島の神は描かれないが、古語拾遺では鹿島がタケミカヅチ、香取がフツヌシとしているところから、フツヌシが先にあり、タケミカヅチが神としては後に生まれたと思われます。
●日本書紀では剣の鍔(ツバ)から滴る迦具土神の血から生まれた。
●タケミカヅチは平安時代に隆盛を誇る「藤原氏」の祖先「中臣氏」の祖神とされます。
●常陸風土記には鹿島の神は描かれないが、古語拾遺では鹿島がタケミカヅチ、香取がフツヌシとしているところから、フツヌシが先にあり、タケミカヅチが神としては後に生まれたと思われます。
武神・雷神
タケミカヅチ神を祀る「鹿島」は武人・剣士にとって特別な名前。神から授かった――みたいな感じがします。塚原卜伝の鹿島新当流の鹿島はここから来ています。空手や柔道など武道場に神棚があれば鹿島の文字が見られます。
スポンサードリンク
物語・由来
国譲りで登場
タケミカヅチは、記紀でオオクニヌシの前に十柄剣(トツカノツルギ)の剣先を上にして(!)突き刺し、その上に胡坐(アグラ)をかいて座り、国譲りを迫りました(切先にあぐらをかく武神)。怖い。
オオクニヌシがハッキリを答えず、「息子たちがイイと言ったらいいよ」とはぐらかしたので、兄コトシロヌシに聞くとアッサリOK。しかし弟であるタケミナカタ神に聞くと断固拒否された。そこで力比べをしてタケミナカタ神を放り投げて負かし、国譲りを達成しました。
神武東征においても登場
神武天皇が熊野にさしかかったとき、熊が現れ毒気を吐くと、毒気にやられて天皇一行は気絶してしまいった。するとアマテラスが過去に葦原中国での活躍があるタケミカヅチ神に手助けを命じます。タケミカヅチ神は自ら降りるのではなく、かつて使った「剣」をタカクラジ神の元へと降ろしました。タカクラジ神はその剣を神武天皇に奉ずると、天皇一行は元気を取り戻し、軍を進めた。その剣を布都御魂(フツノミタマ)であり、現在石上神宮に祀られています。
このくだりはタケミカヅチが国譲りで降臨する際と、似たような図式があります。国譲りを迫る刺客としてまず、アメノオハバリがあがりますが、尋ねると「息子のタケミカヅチが適している」とされ、タケミカヅチが降臨します。東征では子ではなく「剣」ですが、記紀ではより幼い神の方が力があるという考えがみられます。元々はアメノオハバリの孫に当たる剣の神が神武天皇のサポートをしたのかもしれません。
参考:かわいいは正義
タケミカヅチは、記紀でオオクニヌシの前に十柄剣(トツカノツルギ)の剣先を上にして(!)突き刺し、その上に胡坐(アグラ)をかいて座り、国譲りを迫りました(切先にあぐらをかく武神)。怖い。
オオクニヌシがハッキリを答えず、「息子たちがイイと言ったらいいよ」とはぐらかしたので、兄コトシロヌシに聞くとアッサリOK。しかし弟であるタケミナカタ神に聞くと断固拒否された。そこで力比べをしてタケミナカタ神を放り投げて負かし、国譲りを達成しました。
神武東征においても登場
神武天皇が熊野にさしかかったとき、熊が現れ毒気を吐くと、毒気にやられて天皇一行は気絶してしまいった。するとアマテラスが過去に葦原中国での活躍があるタケミカヅチ神に手助けを命じます。タケミカヅチ神は自ら降りるのではなく、かつて使った「剣」をタカクラジ神の元へと降ろしました。タカクラジ神はその剣を神武天皇に奉ずると、天皇一行は元気を取り戻し、軍を進めた。その剣を布都御魂(フツノミタマ)であり、現在石上神宮に祀られています。
このくだりはタケミカヅチが国譲りで降臨する際と、似たような図式があります。国譲りを迫る刺客としてまず、アメノオハバリがあがりますが、尋ねると「息子のタケミカヅチが適している」とされ、タケミカヅチが降臨します。東征では子ではなく「剣」ですが、記紀ではより幼い神の方が力があるという考えがみられます。元々はアメノオハバリの孫に当たる剣の神が神武天皇のサポートをしたのかもしれません。
参考:かわいいは正義
神社や関連する土地
スポンサードリンク
歴史背景
タケミカヅチは元々は常総の土着の神でした。最初は単なる雷神だったハズです。雷は水を呼びます。イカヅチはイナヅマでありカミナリ。イナヅマを漢字で書くと「稲妻」。カミナリは「神鳴り」。雷が鳴ると神によって稲穂が稔る――稲が雷によって妊娠(?)する――つまりタケミカヅチは雷神であり、穀物神のはずです。それがタケミカヅチを氏神とする中臣氏の出世によって武神(剣神)へと昇華したと思われます。
鹿島神宮はヤマトタケる東征の際に中継地点として利用されます。古代、この常総は大和朝廷から見ると辺境も辺境、僻地の土地です。ここから先は何があるか分からない未知の世界、魑魅魍魎跋扈する危険な世界だったわけです。この土地に武神が配置されることが、大和朝廷にとっても安心だったのでしょう。
中臣氏への配慮
このタケミカヅチ神を祖神とするのが中臣氏(鎌足など)。後に藤原氏となる有力氏族です。この中臣氏に対する配慮として、国譲りでの圧倒的パワーと、神武東征での渋いサポートが割り振られたと言われています。
この二柱はスサノオがヤマタノオロチを退治した際に使用した剣(=フツノミタマ剣)を神格化したもの。同一神だった可能性もあります。
鹿島神宮はヤマトタケる東征の際に中継地点として利用されます。古代、この常総は大和朝廷から見ると辺境も辺境、僻地の土地です。ここから先は何があるか分からない未知の世界、魑魅魍魎跋扈する危険な世界だったわけです。この土地に武神が配置されることが、大和朝廷にとっても安心だったのでしょう。
中臣氏への配慮
このタケミカヅチ神を祖神とするのが中臣氏(鎌足など)。後に藤原氏となる有力氏族です。この中臣氏に対する配慮として、国譲りでの圧倒的パワーと、神武東征での渋いサポートが割り振られたと言われています。
その証拠に大活躍する国譲りですが、別の伝ではタケミカヅチは登場せずフツヌシ神だけで国譲りを成します。ちなみにフツヌシは香取神宮の祭神、タケミカヅチは鹿島神宮の祭神。もともとはフツヌシだけで国譲りをしたところを中臣氏への配慮からタケミカヅチが割り込んだと思われます。
この二柱はスサノオがヤマタノオロチを退治した際に使用した剣(=フツノミタマ剣)を神格化したもの。同一神だった可能性もあります。
スポンサードリンク
個人的コラム
神は戦争のため
人間が戦争を始めたとき、古代ですから神の力にその結果を祈ったはずです。勝利を左右するのは兵の質と量と作戦・武器といった国力だけでなく天候地形、さまざまな政治状況が関わるために、「不確定要素」が大きい。その不確定要素が神の領域となります。
なのでより強い神を求めるようになります。タケミカヅチは大和朝廷が関東に進出するときに大きな力となりました(もちろんそれは偶然)。その功績から日本神話の中で「強い役割」を与えられたのでしょう。また、その功績から本流から外れていた分家の中臣氏が中央へ返り咲き、後の藤原氏の隆盛とつながると考えると、やっぱりタケミカヅチの霊力なのかな?と思います。
人間が戦争を始めたとき、古代ですから神の力にその結果を祈ったはずです。勝利を左右するのは兵の質と量と作戦・武器といった国力だけでなく天候地形、さまざまな政治状況が関わるために、「不確定要素」が大きい。その不確定要素が神の領域となります。
なのでより強い神を求めるようになります。タケミカヅチは大和朝廷が関東に進出するときに大きな力となりました(もちろんそれは偶然)。その功績から日本神話の中で「強い役割」を与えられたのでしょう。また、その功績から本流から外れていた分家の中臣氏が中央へ返り咲き、後の藤原氏の隆盛とつながると考えると、やっぱりタケミカヅチの霊力なのかな?と思います。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
用語・神名などの表紙へ
スポンサードリンク