皇極天皇(十四)蝦夷は紫冠を入鹿に・祖母が物部弓削大連の妹・古人大兄を天皇に画策

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皇極天皇(十四)蝦夷は紫冠を入鹿に・祖母が物部弓削大連の妹・古人大兄を天皇に画策

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原文

冬十月丁未朔己酉、饗賜群臣伴造於朝堂庭、而議授位之事。遂詔国司。如前所勅、更無改換、宜之厥任、愼爾所治。壬子、蘇我大臣蝦夷、緣病不朝。私授紫冠於子入鹿、擬大臣位。復呼其弟、曰物部大臣。大臣之祖母、物部弓削大連之妹。故因母財、取威於世。戊午、蘇我臣入鹿、獨謀、將廢上宮王等、而立古人大兄爲天皇。于時、有童謠曰、

伊波能杯儞、古佐屢渠梅野倶、渠梅多儞母、多礙底騰裒囉栖、歌麻之々能烏膩。
(蘇我臣入鹿、深忌上宮王等威名振於天下、獨謨僭立。)
是月、茨田池水還淸。

現代語訳

(即位2年)冬10月3日。群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)・伴造(トモノミヤツコ)に朝堂(ミカド)の庭で宴会をして、物を与えました。そうしてから位を授けることを合議しました。国司(クニノミコトモチ)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「前の勅(ミコトノリ)したところのように、また改めて変えることはない。その任じ任せたところに行き、お前の政治のするべきことを慎んで行いなさい」

10月6日。蘇我大臣蝦夷(ソガノオオオミエミシ)は病気のために朝廷に参上しませんでした。密かに、紫冠(ムラサキノカウブリ)を子の入鹿に授けて、大臣の位に匹敵するようにした。またその弟を呼んで、物部大臣(モノノベノオオオミ)と言いました。大臣の祖母(オバ)は物部弓削大連(モノノベノユゲノオオムラジ)の妹です。だから母の財力によって、世に恐れられたのです。

10月12日。曽我臣入鹿(ソガノオミイルカ)が一人で計画して、上宮(カミツミヤ=聖徳太子)の王(ミコ=皇子達)を捨てて、古人大兄(フルヒトノオオエ=舒明天皇の皇子)を立てて、天皇にしようとしました。その時、童謡(ワザウタ)がありました。
岩の上(ヘ)に 小猿(コサル)米(コメ)焼く 米だにも 食(タ)げて通(トオ)らせ 山羊(カマシシ)の老翁(オジ)
歌の訳岩の上で小猿がコメを焼いている。その焼いた米だけでも食べて行きなさいよ。山羊(=カモシカ)のように白い髭を生やしたおじいさんよ

蘇我臣入鹿は上宮(=聖徳太子)の王(=子供)たちの名声があり、天下に広がっていることを忌み憎み、一人、臣の職権を越えて行こうと計画していました。

この月、茨田池の水は、元に帰って、清らかになりました。
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解説

皇極天皇の政治
この文章を読む限り、堅実な政治をしているように見られます。
蘇我氏の紫の冠
病気だと言って休んで、紫の冠を息子に授けた蘇我蝦夷。従来では、蘇我氏が息子に勝手に「冠位十二階の最高位」を授けたとされていましたが、現在では、「冠位十二階」と「紫の冠」が関係している証拠がないので、「それとこれとは別」と考えられています。となると、蘇我氏は「大臣」という世襲のポジションを引き継いだ、くらいの意味だと思われます。
歌の意味
ここでの歌は、実際に蘇我氏を揶揄した歌ではなく、「おじいさんが、米を焼いている若い娘にちょっかいを出そうとして、追い返された時の様子」を歌った農業の歌でしょう。焼き米を作っている時に歌ったんじゃないかと思います。

そういう全然関係ない歌を、後の「蘇我氏が山背大兄王を殺す」状況になぞらえて、ここに当て込んだのだと思われます。
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