大元神社(厳島)

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大元神社

漢字・読みオオモトジンジャ
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概要



祭神国之常立神(クニノトコタチ)、大山祇神(オオヤマヅミ)、佐伯鞍職(サエキノクラモト=大和時代の豪族)。

厳島神社が出来る前からあるとされる神社。佐伯鞍職は大元神社の最初の神主。
大元葺
この大元神社でしか見ることのできない特殊な屋根の葺き方が「大元葺」。国の重要文化財。6枚重ねの三段で葺いてあるというけど、よく分からないです。

この大元葺は、中世の絵には残っているが実物があるのはここだけというもの。しかも長いこと、その珍しさが分かっていなかったので、重要文化財になったのは割と最近とのこと。
百手祭り
「甲」「乙」と「ム」を「鬼」っぽく組み合わせた字を裏に貼った的を弓矢で射ることで、「甲乙」=敵味方、「ム」=無…つまり「敵味方無し」ということで、喧嘩スンナよ、争い事はやめようぜ、という祭り。奇祭として有名。毎年1月20日に行われます。
御島巡式
5月15日に厳島の神社を巡る御島巡式というのがあって、その一番最後に巡るのがこの大元神社。
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物語・由来

厳島では最も古い神社。

愛媛県今治市の大山祇神社の「三島宮御鎮座本禄」によると、仲哀天皇・神宮皇后の時代に長門の豊浦に異国から「塵和(塵輪=ジンリン)」が侵略に来ました。彼らを撃退するために派遣されたのが「小千三並」でした。小千三並は小千家の三並くんという意味です。この小千は中国地方ではよく見かける「越智」さんの先祖となります。

ちなみに塵輪は背中に翼があり暗雲に乗る鬼で、たくさんの日本人を殺しました。地域から言って、朝鮮人かもしれませんが、九州の氏族ということもあります。

この小千三並は戦争に行く前にオオヤマズミの神体である「矛(ホコ)」を借り、その神威を持って挑みます。その矛を取りあえず鎮座したのが、「安芸の霧島」…つまり現在の厳島の大元神社になります。
もしも本当に仲哀天皇の時代にあった話だとしたら、当時は「神社」の形式がまだ曖昧だったはずなので、当然ながら「大元神社」というものは無い。神社の形式となったのはかなり後のこと。「大元」という名前も後付けではないか?と。ただし神域だったことは間違いない。

戦争に勝利し、塵輪を追い払った後も、小千三並はこの土地にとどまります。そしてオオヤマヅミが去るときにこの場所を「大元神社」と名付けたとされます。

大元は「元居たところ」という意味なのかもしれませんが、「山のふもと」という意味かも。

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