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仁徳天皇(二十三)口持臣は筒城宮で皇后に謁見したが
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冬十月甲申朔、遣的臣祖口持臣喚皇后。一云、和珥臣祖口子臣。爰口持臣、至筒城宮、雖謁皇后、而默之不答。時口持臣沾雪雨、以經日夜伏于皇后殿前而不避。於是、口持臣之妹国依媛、仕于皇后、適是時、侍皇后之側。見其兄沾雨而流涕之歌曰、
揶莽辭呂能 菟々紀能瀰揶珥 茂能莽烏輸 和餓齊烏瀰例麼 那瀰多遇摩辭茂
時皇后謂国依媛曰「何爾泣之。」對言「今伏庭請謁者、妾兄也。沾雨不避、猶伏將謁。是以、泣悲耳。」時皇后謂之曰「告汝兄令速還、吾遂不返焉。」口持則返之、復奏于天皇。
揶莽辭呂能 菟々紀能瀰揶珥 茂能莽烏輸 和餓齊烏瀰例麼 那瀰多遇摩辭茂
時皇后謂国依媛曰「何爾泣之。」對言「今伏庭請謁者、妾兄也。沾雨不避、猶伏將謁。是以、泣悲耳。」時皇后謂之曰「告汝兄令速還、吾遂不返焉。」口持則返之、復奏于天皇。
現代語訳
(即位30年)冬10月1日。的臣(イクハノオミ)の祖先の口持臣(クチモチノオミ)を派遣して皇后(キサキ)を呼び寄せました。
口持臣(クチモチオミ)は筒城宮(ツツキノミヤ)に到着して、皇后に謁見したのですが、黙ったままで答えてもらえませんでした。その時に口持臣(クチモチノオミ)は雪雨(アメ)に濡れて、昼夜を経て、皇后の殿(オオトノ=宮殿)の前に伏したままで、帰りませんでした。口持臣の妹の国依媛(クニヨリヒメ)は皇后に仕えていました。この時に、皇后の側にいました。その兄(=口持臣)が雨に濡れているのを見て、悲しんで歌を歌いました。
山背の 筒城宮(ツツキノミヤ)に 物(モノ)申(マオ)す 我が兄(セ)を見れば 涙(ナミタ)ぐましも
皇后は国依媛(クニヨリヒメ)に語って言いました。
「どうしてお前が泣いているのか?」
答えて言いました。
「今、庭に伏して請い申しているのは、わたしめの兄です。雨に濡れて、去らず、なお伏して謁見しているのです。それで泣き悲しんでいるのです」
皇后は言いました。
「お前が兄に告げて、速やかに帰らせなさい。わたしは戻りません」
口持はすぐに帰って天皇に復命(=仕事の結果を報告すること)を申し上げました。
ある伝によると…和珥臣(ワニノオミ)の祖先の口子臣(クチコノオミ)です。
口持臣(クチモチオミ)は筒城宮(ツツキノミヤ)に到着して、皇后に謁見したのですが、黙ったままで答えてもらえませんでした。その時に口持臣(クチモチノオミ)は雪雨(アメ)に濡れて、昼夜を経て、皇后の殿(オオトノ=宮殿)の前に伏したままで、帰りませんでした。口持臣の妹の国依媛(クニヨリヒメ)は皇后に仕えていました。この時に、皇后の側にいました。その兄(=口持臣)が雨に濡れているのを見て、悲しんで歌を歌いました。
山背の 筒城宮(ツツキノミヤ)に 物(モノ)申(マオ)す 我が兄(セ)を見れば 涙(ナミタ)ぐましも
歌の訳山背の筒城宮で、物申す我が兄を見ていると涙ぐんでしまいます。
皇后は国依媛(クニヨリヒメ)に語って言いました。
「どうしてお前が泣いているのか?」
答えて言いました。
「今、庭に伏して請い申しているのは、わたしめの兄です。雨に濡れて、去らず、なお伏して謁見しているのです。それで泣き悲しんでいるのです」
皇后は言いました。
「お前が兄に告げて、速やかに帰らせなさい。わたしは戻りません」
口持はすぐに帰って天皇に復命(=仕事の結果を報告すること)を申し上げました。
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解説
的臣の口持臣と国依媛
「仁徳天皇(十七)高麗国の鉄の的を盾人宿禰が射る」で的臣は登場。姓氏録、山城皇別・河内皇別・和泉皇別などの書物では「的臣は武内宿禰の子供の葛城襲津彦の子孫」あるので、「葛城氏」の関係者というか分家でしょう。ということは口持臣も国依媛も葛城氏出身の皇后(磐之媛命)と同じ家ってことです。
つまり、仁徳天皇の浮気に切れた皇后(磐之媛命)が国依媛・口持臣が「親類縁者だから」、態度を軟化(?)させた、ってお話です。
「仁徳天皇(十七)高麗国の鉄の的を盾人宿禰が射る」で的臣は登場。姓氏録、山城皇別・河内皇別・和泉皇別などの書物では「的臣は武内宿禰の子供の葛城襲津彦の子孫」あるので、「葛城氏」の関係者というか分家でしょう。ということは口持臣も国依媛も葛城氏出身の皇后(磐之媛命)と同じ家ってことです。
つまり、仁徳天皇の浮気に切れた皇后(磐之媛命)が国依媛・口持臣が「親類縁者だから」、態度を軟化(?)させた、ってお話です。
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- Page19 仁徳天皇(十九)桑田玖賀媛と播磨の速待
- Page20 仁徳天皇(二十)新羅が朝貢しないので砥田宿禰と賢遺臣と派遣
- Page21 仁徳天皇(二十一)八田皇女をめぐる、歌のやり取り
- Page22 仁徳天皇(二十二)皇后は怒り、難波から山代、奈良、小楯、倭、葛城から最後は山代の筒城岡へ
- Page23 仁徳天皇(二十三)口持臣は筒城宮で皇后に謁見したが
- Page24 仁徳天皇(二十四)つのさはふ 磐之媛が おほろかに 聞さぬ 末桑の木
- Page25 仁徳天皇(二十五)大兄去来穗別尊の立太子と磐之媛の死
- Page26 仁徳天皇(二十六)菟餓野の鹿と佐伯部の移卿
- Page27 仁徳天皇(二十七)鳴く牡鹿でもないってのに、夢で見たままになった
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