中蒂姫命と眉輪王

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安康天皇(五)中蒂姫命と眉輪王

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原文

二年春正月癸巳朔己酉、立中蒂姫命爲皇后、甚寵也。初中蒂姫命生眉輪王於大草香皇子、乃依母以得免罪、常養宮中。

三年秋八月甲申朔壬辰、天皇、爲眉輪王見弑。辭具在大泊瀬天皇紀。三年後、乃葬菅原伏見陵。

現代語訳

即位2年春1月17日。中蒂姫命(ナカシヒメノミコト)を皇后としました。とても愛しました。中蒂姫命(ナカシヒメノミコト)は眉輪王(マヨワノオオキミ)を大草香皇子との間に産んでいました。母である中蒂姫命によって眉輪王は罪を免れることができました。なので常に宮中で育てられました。

即位3年秋8月9日。天皇は眉輪王によって殺されてしまいました。この話は詳細に大泊瀬天皇紀に書かれています。

三年後に菅原伏見陵(スガワラノフシミノミサザキ)に葬られました。
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解説

大草香皇子の妻を皇后に
政敵であり、死に追いこんだ大草香皇子の妻を皇后にしました。皇后です。単なる妃ならば問題ありません。皇后は別格です。そして安康天皇は幼い眉輪王によって暗殺されてしまいます。
政治的視点から
非葛城の象徴だった「大草香皇子」は死にました。しかしそのやり方はあまりにひどかった。物語では安康天皇は根使主(ネノオミ)に騙された形なのですが、それは史実とは言えないでしょう。そして安康天皇は暗殺されてしまいます。これも物語では眉輪王が殺したことになっていますが、実際は違うハズです。非葛城による暗殺と考えるべきです。そして、この安康天皇の暗殺から、非葛城による逆襲が始まります。
皇后について
実は天皇の皇后は基本的には「皇女」しか成れません。親が天皇かその血筋でないと「皇后」にはなれないのですね。例外もありますが(仁徳天皇の皇后の磐之媛)、基本的にはそうです。つまり安康天皇はもしかすると、天皇の資格を持っていなかったのかもしれないのです。皇女を妻にしている大草香皇女を殺して、その妻を娶るというのは「天皇位」を奪ったという意味なのかもしれません。そう考えると大泊瀬皇子が草香幡梭姫皇女にこだわる意味も分かりやすくなります。この政変の中で大泊瀬皇子は皇女を得ました。こうして大泊瀬皇子は次の天皇、雄略天皇となります。
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