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安康天皇(二)物部大前宿禰の家での太子と皇子のやりとり
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是時、太子行暴虐、淫于婦女。国人謗之、群臣不從、悉隸穴穗皇子。爰太子、欲襲穴穗皇子而密設兵。穴穗皇子、復興兵將戰、故穴穗括箭・輕括箭、始起于此時也。時太子、知群臣不從百姓乖違、乃出之、匿物部大前宿禰之家。穴穗皇子聞則圍之、大前宿禰出門而迎之、穴穗皇子歌之曰、
於朋摩弊 烏摩弊輸區泥餓 訶那杜加礙 訶區多智豫羅泥 阿梅多知夜梅牟
大前宿禰答歌之曰、
瀰椰比等能 阿由臂能古輸孺 於智珥岐等 瀰椰比等々豫牟 佐杜弭等茂由梅
乃啓皇子曰「願勿害太子、臣將議。」由是、太子自死于大前宿禰之家。一云、流伊豫国。
於朋摩弊 烏摩弊輸區泥餓 訶那杜加礙 訶區多智豫羅泥 阿梅多知夜梅牟
大前宿禰答歌之曰、
瀰椰比等能 阿由臂能古輸孺 於智珥岐等 瀰椰比等々豫牟 佐杜弭等茂由梅
乃啓皇子曰「願勿害太子、臣將議。」由是、太子自死于大前宿禰之家。一云、流伊豫国。
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現代語訳
このとき、太子(木梨軽皇子のこと)は暴虐(アラクサカシマナルワザ)を行って、婦女を淫(タワ=犯した)けました。国人(ヒト=国民)は非難しました。
群臣(マヘツノキミタチ=臣下たち)は太子に従いませんでした。全ての群臣は穴穂皇子(アナホノミコ=安康天皇)につきました。太子は穴穂皇子を遅等として、密かに兵を興しました。すると穴穂皇子も兵を興して戦おうとしました。穴穗括箭(アナホヤ)・輕括箭(カルヤ)はこのとき初めて出来ました。太子には群臣が従わず、百姓は背いていると分かり、太子は軍から出ると物部大前宿禰(モノノベノオオマエノスクネ)の家に隠れました。穴穂皇子はそれを聞いて家を取り囲みました。大前宿禰は門に出て皇子を迎えました。穴穂皇子は歌を歌いました。
大前(オオマエ) 小前宿禰(オマエスクネ)が 金門陰(カナトカゲ) かく立ち寄らね 雨立ち止めむ
大前宿禰は答えて歌いました。
宮人の 足結の小鈴 落ちにきと 宮人響む 里人もゆめ
皇子はに言いました。
「お願いですから、太子を殺さないでください。わたしめが話し合いますから」
それで太子は自ら大前宿禰の家で死んでしまいました。
群臣(マヘツノキミタチ=臣下たち)は太子に従いませんでした。全ての群臣は穴穂皇子(アナホノミコ=安康天皇)につきました。太子は穴穂皇子を遅等として、密かに兵を興しました。すると穴穂皇子も兵を興して戦おうとしました。穴穗括箭(アナホヤ)・輕括箭(カルヤ)はこのとき初めて出来ました。太子には群臣が従わず、百姓は背いていると分かり、太子は軍から出ると物部大前宿禰(モノノベノオオマエノスクネ)の家に隠れました。穴穂皇子はそれを聞いて家を取り囲みました。大前宿禰は門に出て皇子を迎えました。穴穂皇子は歌を歌いました。
大前(オオマエ) 小前宿禰(オマエスクネ)が 金門陰(カナトカゲ) かく立ち寄らね 雨立ち止めむ
歌の訳大前小前宿禰の金門の陰に、立ち寄ろう。雨宿りしよう。
大前宿禰は答えて歌いました。
宮人の 足結の小鈴 落ちにきと 宮人響む 里人もゆめ
歌の訳宮廷に勤めている人の服の裾を足に結んで留める紐についた小さな鈴が落ちて島行ったと、騒いでいるよ。里の人も気を付けなさいな。
皇子はに言いました。
「お願いですから、太子を殺さないでください。わたしめが話し合いますから」
それで太子は自ら大前宿禰の家で死んでしまいました。
ある伝によると伊予国に流されたといいます。
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解説
大前と小前は兄弟
大前宿禰は履中天皇が仲皇子に襲われて命からがら逃げたときに馬に乗せてくれた忠臣の一人です。履中天皇は安康天皇から見れば「叔父」にあたります。
小前宿禰は、この大前宿禰の弟と思われます。
が、どうも伝承・神話っぽいですよね。
穴穗括箭(アナホヤ)・輕括箭(カルヤ)
日本書紀では軽く書いているだけですが、古事記ではこの「矢」のことについてちゃんと書いています。
ちなみに考古学によると銅の鏃(ヤジリ=矢の先)は弥生時代から古墳時代中期(5世紀半ば)まで利用されていたとあり、この記述には合致する。おそらくこの時代に銅から鉄に鏃のトレンドが変わったのだと思われます。
歌の意味
宮廷の人が鈴を足につけているというのは、履中天皇のところでもありました。
というように、夜這いをするときは「鈴」が合図になっていて、鈴が鳴ったら「夜這いに来た」ということであり、その鈴を忘れて帰るということは「浮気の証拠」ということにもなるわけです。
だからこの歌って本来は、「都からドスケベが来て、あちこちの女とヤリまくってるぞ。そんで鈴を無くして大騒ぎしてるぞ。おい、里の女はドスケベに気をつけろ!」という恋愛というか艶っぽい歌なんじゃないかなぁと思うのですね。
古事記では「膝をうって踊りながら」、この歌を歌っていて、どうも緊張感がない。もともとは「演芸」だったんじゃないかと。それをこの時代にあった「政変」と絡めた。軽皇子の近親相姦が事実かどうかはともかく、そういう「政変」があって、それを表現するのに、これらの演芸を取り込んだってのが本当じゃないかなと思います。
大前宿禰は履中天皇が仲皇子に襲われて命からがら逃げたときに馬に乗せてくれた忠臣の一人です。履中天皇は安康天皇から見れば「叔父」にあたります。
小前宿禰は、この大前宿禰の弟と思われます。
が、どうも伝承・神話っぽいですよね。
穴穗括箭(アナホヤ)・輕括箭(カルヤ)
日本書紀では軽く書いているだけですが、古事記ではこの「矢」のことについてちゃんと書いています。
大前小前宿禰が 金門陰 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ
それで軽太子は恐ろしくなって大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)の家に逃げ込んで兵器(ツワモノ)を備えて作りました。 その時に作った矢はその矢の内側を銅としました。その矢を軽箭(カルヤ)といいます。
穴穂王子(アナホノミコ)もまた兵器(ツワモノ)を作りました。 この王子が作った矢は現在使っている矢です。これを穴穂箭(アナホヤ)といいます。
それで軽太子は恐ろしくなって大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)の家に逃げ込んで兵器(ツワモノ)を備えて作りました。 その時に作った矢はその矢の内側を銅としました。その矢を軽箭(カルヤ)といいます。
穴穂王子(アナホノミコ)もまた兵器(ツワモノ)を作りました。 この王子が作った矢は現在使っている矢です。これを穴穂箭(アナホヤ)といいます。
ちなみに考古学によると銅の鏃(ヤジリ=矢の先)は弥生時代から古墳時代中期(5世紀半ば)まで利用されていたとあり、この記述には合致する。おそらくこの時代に銅から鉄に鏃のトレンドが変わったのだと思われます。
歌の意味
宮廷の人が鈴を足につけているというのは、履中天皇のところでもありました。
履中天皇(一)出自と黒媛と仲皇子の鈴
仲皇子(ナカツミコ)は太子の名を偽って、黒媛を犯してしまいました。この夜、仲皇子は手の鈴を黒媛の家に忘れて帰りました。翌日の夜になって太子は仲皇子が犯したことを知らないで家に到着しました。部屋に入り、帳(トバリ)を開けて、玉床(ミユカ)に居ました。床の端に鈴の音がしました。太子は不思議に思って、黒媛に問いました。
「これは何の鈴か?」
答えて言いました。
「昨晩、太子が持ってきた鈴ではありませんか?
どうしてわたしめに、そのようなことを問うのですか?」
太子は自然と仲皇子の名を偽って黒媛を犯したことがわかって、黙ってその場を去りました。
仲皇子(ナカツミコ)は太子の名を偽って、黒媛を犯してしまいました。この夜、仲皇子は手の鈴を黒媛の家に忘れて帰りました。翌日の夜になって太子は仲皇子が犯したことを知らないで家に到着しました。部屋に入り、帳(トバリ)を開けて、玉床(ミユカ)に居ました。床の端に鈴の音がしました。太子は不思議に思って、黒媛に問いました。
「これは何の鈴か?」
答えて言いました。
「昨晩、太子が持ってきた鈴ではありませんか?
どうしてわたしめに、そのようなことを問うのですか?」
太子は自然と仲皇子の名を偽って黒媛を犯したことがわかって、黙ってその場を去りました。
というように、夜這いをするときは「鈴」が合図になっていて、鈴が鳴ったら「夜這いに来た」ということであり、その鈴を忘れて帰るということは「浮気の証拠」ということにもなるわけです。
だからこの歌って本来は、「都からドスケベが来て、あちこちの女とヤリまくってるぞ。そんで鈴を無くして大騒ぎしてるぞ。おい、里の女はドスケベに気をつけろ!」という恋愛というか艶っぽい歌なんじゃないかなぁと思うのですね。
古事記では「膝をうって踊りながら」、この歌を歌っていて、どうも緊張感がない。もともとは「演芸」だったんじゃないかと。それをこの時代にあった「政変」と絡めた。軽皇子の近親相姦が事実かどうかはともかく、そういう「政変」があって、それを表現するのに、これらの演芸を取り込んだってのが本当じゃないかなと思います。
大体、太子と皇子ならば、太子の方が偉いんですよ。皇子が反逆して、というかクーデターしてできた政権が「安康天皇」と考えた方がシックリ来ます。その後の暗殺を含めて。
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安康天皇(日本書紀)の表紙へ
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- Page2 安康天皇(二)物部大前宿禰の家での太子と皇子のやりとり
- Page3 安康天皇(三)大泊瀬皇子は瑞歯別天皇の娘を望むが
- Page4 安康天皇(四)根使主は押木珠縵に目が眩む。大草香皇子の死
- Page5 安康天皇(五)中蒂姫命と眉輪王
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