安康天皇(一)出自

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安康天皇(一)出自

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原文

穴穗天皇、雄朝津間稚子宿禰天皇第二子也。一云、第三子也。母曰忍坂大中姫命、稚渟毛二岐皇子之女也。卌二年春正月、天皇崩、冬十月葬禮畢之。

現代語訳

穴穗天皇(アナホノスメラミコト=安康天皇)は雄朝津間稚子宿禰天皇(オアサヅマワクゴノスクネノスメラミコト=允恭天皇)の第二子です。
ある伝によると、第三子とも。

母は忍坂大中姫命(オシサカノオオナカツヒメノミコト)といいます。稚渟毛二岐皇子(ワケヌケフタマタノミコ=応神天皇の子)の娘です。允恭天皇が即位して42年春1月に天皇は崩御しました。
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解説

稚渟毛二岐皇子
稚渟毛二岐皇子は応神天皇の子です。
応神天皇(二)即位、皇后と妃と子息子女
次の妃として河派仲彦(カワマタナカツヒコ)の娘の弟媛(オトヒメ)が稚野毛二派皇子(ワカノケフタマタノヒコ)を生みました。

その稚渟毛二岐皇子は忍坂大中姫の父親ということは、弟姫(衣通娘皇女)の父親でもあります。また後に登場する「継体天皇」の祖先でもあります。他にも姓氏録によると「息長真人」「山道真人」「坂田酒人真人」「八多真人」「息長丹生真人」「坂田宿禰」「息長連」の祖先とされていて、子孫を見るとかなり優秀という印象。天皇も輩出しているわけですし。
継体天皇について
「継体天皇は応神天皇の五代孫」という設定は「実際は王朝が変わったことを隠すための嘘」という説があるのですが、安康天皇の祖父も継体天皇の曽祖父(おそらく)もこの稚渟毛二岐皇子であって、当時としては継体天皇はそれほど突飛なことでは無かったんじゃないかと思います。
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