応神天皇(二)即位、皇后と妃と子息子女

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応神天皇(二)即位、皇后と妃と子息子女

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原文

元年春正月丁亥朔、皇太子卽位。是年也、太歲庚寅。

二年春三月庚戌朔壬子、立仲姫爲皇后、后生荒田皇女・大鷦鷯天皇・根鳥皇子。先是、天皇以皇后姉高城入姫爲妃、生額田大中彦皇子・大山守皇子・去來眞稚皇子・大原皇女・澇來田皇女。又妃皇后弟々姫、生阿倍皇女・淡路御原皇女・紀之菟野皇女。次妃和珥臣祖日觸使主之女宮主宅媛、生菟道稚郎子皇子・矢田皇女・雌鳥皇女。次妃宅媛之弟小甂(小甂、此云烏儺謎)媛、生菟道稚郎姫皇女。次妃河派仲彦女弟媛、生稚野毛二派皇子。(派、此云摩多。)次妃櫻井田部連男鉏之妹糸媛、生隼總別皇子。次妃日向泉長媛、生大葉枝皇子・小葉枝皇子。凡是天皇、男女幷廿王也。根鳥皇子、是大田君之始祖也。大山守皇子、是土形君・榛原君、凡二族之始祖也。去來眞稚皇子、是深河別之始祖也。
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現代語訳



即位元年春1月1日。皇太子は即位しました。この年、太歲庚寅でした。

即位2年春3月3日。仲姫(ナカツヒメ)を立てて皇后としました。后は荒田皇女(アラタノヒメミコ)・大鷦鷯天皇(オオサザキノスメラミコト=仁徳天皇)・根鳥皇子(ネトリノミコ)を生みました。

これより先に天皇は皇后の姉の高城入姫(タカキノイリビメ)を妃(ミメ)として、額田大中彦皇子(ニカタノオオナカツヒコノミコ)・大山守皇子(オオヤマモリノミコ)・去來眞稚皇子(イザサノマワカノミコ)・大原皇女(オオハラノヒメミコ)・澇來田皇女(コムクタノヒメミコ)を生みました。

また妃として皇后の妹の弟姫(オトヒメ)が阿倍皇女(アベノヒメミコ)・淡路御原皇女(アワジノミハラノヒメミコ)・紀之菟野皇女(キノウノノヒメミコ)を生みました。

次の妃として和珥臣(ワニノオミ)の祖先の日觸使主(ヒフレノオミ)の娘の宮主宅媛(ミヤヌシノヤカヒメ)が菟道稚郎子皇子(ウジノワキイラツコノミコ)・矢田皇女(ヤタノヒメミコ)・雌鳥皇女(メトリノヒメミコ)を生みました。

次の妃として宅媛(ヤカヒメ)の妹の小甂姫(オナベヒメ)が菟道稚郎姫皇女(ウジノワキイラツメノヒメミコ)を生みました。
小甂は烏儺謎(オナベ)と読みます。

次の妃として河派仲彦(カワマタナカツヒコ)の娘の弟媛(オトヒメ)が稚野毛二派皇子(ワカノケフタマタノヒコ)を生みました。
派は摩多(マタ)と読みます。

次に妃として櫻井田部連男鉏(サクライノタベノムラジオサヒ)の妹の糸媛(イトヒメ)が隼總別皇子(ハヤブサノワケノミコ)を生みました。

次の妃として日向泉長媛(ヒムカノイズミノナガヒメ)、大葉枝皇子(オオハエノミコ)・小葉枝皇子(オハエノミコ)を生みました。

以上すべての天皇の男女を合わせて20王です。根鳥皇子(ネトリノミコ)は大田君(オオタノキミ)の始祖です。大山守皇子(オオヤマモリノミコ)は土形君(ヒジカタノキミ)・蓁原君(ハリハラノキミ)の二族(フタヤカラ)の始祖です。來眞稚皇子(イザノマワカノミコ)の深河別(フカカワワケ)の始祖です。
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