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応神天皇(七)日向国の嬢子の髪長媛
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現代語訳
即位11年冬10月。
剣池(ツルギノイケ)・軽池(カルノイケ)・鹿垣池(カノカキノイケ)・厩坂池(ウマヤサカノイケ)を作りました。
この年、人が(朝廷に来て)奏上しました。
「日向国に嬢子(オトメ)がいます。名は髪長媛(カミナガヒメ)です。諸県君牛諸井(モロガタノキミウシモロイ)の娘です。このは国色之秀者(カオスグレタルヒト)です」
天皇は喜んで、心の裏(ウチ=内)で(妻として)娶りたいと思いました。
即位13年春3月。天皇は専使(タクメツカイ=そのことだけのために派遣される使者)を派遣して、髪長媛を呼び寄せました。
古事記の対応箇所
髪長比売その顔容麗美し
剣池(ツルギノイケ)・軽池(カルノイケ)・鹿垣池(カノカキノイケ)・厩坂池(ウマヤサカノイケ)を作りました。
この年、人が(朝廷に来て)奏上しました。
「日向国に嬢子(オトメ)がいます。名は髪長媛(カミナガヒメ)です。諸県君牛諸井(モロガタノキミウシモロイ)の娘です。このは国色之秀者(カオスグレタルヒト)です」
天皇は喜んで、心の裏(ウチ=内)で(妻として)娶りたいと思いました。
即位13年春3月。天皇は専使(タクメツカイ=そのことだけのために派遣される使者)を派遣して、髪長媛を呼び寄せました。
古事記の対応箇所
髪長比売その顔容麗美し
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解説
同様の話が古事記にあります。髪長媛はオオサザキ命、つまり仁徳天皇に譲られます。
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