雄略天皇(八)皇后と妃と子息子女

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雄略天皇(八)皇后と妃と子息子女

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原文

元年春三月庚戌朔壬子、立草香幡梭姫皇女、爲皇后。更名橘姫皇女。

是月、立三妃。元妃葛城圓大臣女曰韓媛、生白髮武廣国押稚日本根子天皇與稚足姫皇女(更名 栲幡娘姫皇女)、是皇女侍伊勢大神祠。次有吉備上道臣女稚媛(一本云、吉備窪屋臣女)生二男、長曰磐城皇子、少曰星川稚宮皇子。(見下文。)次有春日和珥臣深目女曰童女君、生春日大娘皇女。(更名高橋皇女。)

現代語訳

即位元年春3月3日。草香幡梭姫皇女(クサカノハタビヒメノヒメミコ)を皇后としました。
別名を橘姫皇女(タチバナヒメノヒメミコ)です。

この月、三人の妃を立てました。はじめの妃は葛城円大臣(カツラギノツブラノオオオミ)の娘の韓媛(カラヒメ)といいます。白髮武廣国押稚日本根子天皇(シラカノタケヒロクニオシワカヤマトネコノスメラミコト=清寧天皇)と稚足姫皇女(ワカタラシヒメノヒメミコ)を生みました。
別名を栲幡娘姫皇女(タクハタヒメノヒメミコ)といいます。

この皇女は伊勢大神の祠(ヤシロ)に仕えています。
次に吉備上道臣(キビノカミツチノオミ)の娘の稚姫(ワカヒメ)です。
ある本位よると吉備窪屋臣の娘とも。

二柱の男の子を生みました。長男を磐城皇子(イワキノミコ)といいます。弟を星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)といいます。
以降の文に見られます。

次に春日和珥臣深目(カスガノワニノオミフカメ)の娘の童女君(オミナギミ)といいます。春日大娘皇女(カスガノオオイラツメノヒメミコ)を生みました。
別名を高橋皇女(タカハシノヒメミコ)
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解説

草香幡梭姫皇女
履中天皇の皇后にも全く同じ名前があります。ここでは仁徳天皇と日向髪長媛の間に生まれていて、大草香皇子の妹にあたります。ちなみに履中天皇の皇后と、雄略天皇の皇后は「同一人物」という説は昔からあります。

大草香皇子と安康天皇・雄略天皇との関係は

を参考にしてください。
葛城円大臣の娘の韓媛
円大臣は雄略天皇によって殺されています。

ざっくり言うと雄略天皇の兄の安康天皇を殺した、義理の子である「眉輪王」が逃げ込んだ先が円大臣で、韓媛はその娘です。雄略天皇はその韓媛を妃にしたわけです。もうね、ドロドロですよ。
ちなみに安康天皇は政敵である大草香皇子を殺して、その妻である中蒂姫命を皇后にしたのですね。これまたドロドロ。しかも大草加皇子と中蒂姫命の子供である眉輪王に殺されるのです。
吉備上道臣の娘の稚姫
これは雄略天皇7年になれそめが書いてあります。そこでは吉備上道臣田狭(キビノカミツミチノオミタサ)の妻だった「稚姫」を褒めると、それを聞いた雄略天皇が田狭を朝鮮半島の任那に左遷して、奪い取ったとあります。別伝では葛城氏の娘とあります。
春日和珥臣深目の娘の童女君
これに関しては次のページに詳細があります。
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