吉備下道臣前津屋の反逆

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雄略天皇(二十二)吉備下道臣前津屋の反逆

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原文

八月、官者吉備弓削部虛空、取急歸家。吉備下道臣前津屋或本云、国造吉備臣山留使虛空、經月不肯聽上京都。天皇、遣身毛君大夫召焉、虛空被召來言「前津屋、以小女爲天皇人・以大女爲己人、競令相鬪、見幼女勝、卽拔刀而殺。復、以小雄鶏呼爲天皇鶏、拔毛剪翼、以大雄鶏呼爲己鶏、著鈴・金距、競令鬪之、見禿鶏勝、亦拔刀而殺。」天皇聞是語、遣物部兵士卅人、誅殺前津屋幷族七十人。

現代語訳

(即位7年)8月。官者(トネリ)の吉備弓削部虛空(キビノユゲベノオオゾラ)が取り急ぎで家に帰りました。吉備下道臣前津屋(キビノシモツミチノオミマエツヤ)が…
ある本によると国造吉備臣山(クニノミヤツコキビノオミヤマ)といいます。

虚空(オオゾラ)を留めて使用人として使いました。月日が経っても京都(ミヤコ=ここでは倭の都)に帰り上らせませんでした。そこで天皇は身毛君大夫(ムケツキミマスラオ)を派遣して呼び寄せました。虚空は呼ばれて来て言いました。
「前津屋(マエツヤ)は小女(オトメ)を天皇に見立て、大女(オオメノコ)を自分に見立てて、競って戦わせました。幼女が勝ったら刀を抜いて殺しました。また小さな雄鶏(ミニワトリ)を天皇の鶏として、毛を抜き羽を切って、大きな雄鶏を自分の鶏として、鈴・金(金属製の)の距(ケヅメ)を履かせて、競い戦わせました。禿げた鶏が勝つのを見たら、また刀を抜いて殺しました」
天皇はこのことを聞いて、物部の兵士30人を派遣して前津屋とあわせて一族70人を誅殺しました。
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解説

吉備を弱体化する
吉備国は「備前」「備中」「備後」と「美作」という4つの国に分けられていきます。それだけ吉備という国が大きかったということです。

吉備下道臣前津屋が実際に反逆しようとしていたのかは分かりません。天皇を侮辱するようなことしたとされますが、呪術のようなものでしょう。祈(ウケイ)というやつです。もちろん実際にそんな呪術をしたかどうかも分かりません。ただ、当時の吉備は倭にとって恐ろしい存在だった。少なくとも「反逆」が現実的なくらいの国力があり、勢いがあった。
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