弟君と吉備海部直赤尾の新羅行き

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雄略天皇(二十四)弟君と吉備海部直赤尾の新羅行き

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原文

田狹、既之任所、聞天皇之幸其婦、思欲求援而入新羅。于時、新羅不事中国。天皇、詔田狹臣子弟君與吉備海部直赤尾曰「汝、宜往罰新羅。」於是、西漢才伎歡因知利在側、乃進而奏曰「巧於奴者、多在韓国。可召而使。」天皇詔群臣曰「然則宜以歡因知利、副弟君等、取道於百濟、幷下勅書、令獻巧者。」於是弟君、銜命率衆、行到百濟而入其国、国神化爲老女、忽然逢路、弟君就訪国之遠近、老女報言「復行一日而後可到。」弟君、自思路遠、不伐而還、集聚百濟所貢今來才伎於大嶋中、託稱候風、淹留數月。

現代語訳

田狭(タサ)は任所(ヨサシドコロ=任じられた所=任那)に行きました。天皇が婦(メ=田狭の妻の稚媛のこと)を幸(ツカワ=妃とした)せたのを聞いて、助けを求めて新羅に入ろうと思いました。そのとき、新羅は中国(ミカド=中つ国=倭のこと)に仕えていませんでした。天皇は田狭臣の子の弟君(オトキミ)と吉備海部直赤尾(キビノアマノアタイアカオ)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「お前、行って新羅を罰を与えよ」
西漢才伎歡因知利(カウチノアヤノテヒトカンインチリ)は側にいました。すぐに進んで天皇に申し上げました。
「わたしめよりも巧みな人が多く韓国にいます。呼び寄せて仕えさせるべきです」
天皇は群臣に詔していいました。
「そうならば、歡因知利(カンインチリ)をもって、弟君に添えて、道を百済に舵を取って、併せて勅書(ミコトノリノフミ)を与えて、巧(タクミ)の者を献上させろ」
弟君は命令を承って、衆(モロモロ)を率いて行って、百済に到着して、その国に入りました。国神(クニツカミ)は老女に化けて、路で会いました。弟君はこれから行く国が遠いか近いか尋ねました。老女は答えました。
「また1日行くと、到着するでしょう」
弟君は自然と路が遠いと思って、新羅を征伐しないで帰りました。百済が献上した今来(イマキ)の才伎(テヒト=技術者のこと)を大嶋(オオシマ=未詳)の中に集めて、候風(カゼサモチラウ=風の様子を見ること)ことになって、長く留まることになって月が経ちました。
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解説

田狭の反逆
田狭は嫁を天皇に奪われて切れて新羅に逃げ込んだ、ということになってます。史実かどうかは分かりませんが。ともかく、新羅に逃げ込んで、日本と新羅の関係が緊張関係になりました。すると、日本に住んでいた西漢才伎歡因知利という技術者が、「朝鮮半島にはもっと凄い技術者がいるよ」と言うので、反逆した田狭の子の弟君と吉備海部直赤尾を派遣して、征伐させたわけです。

しかし変な話で、新羅に逃げた田狭も吉備ならば、その田狭を征伐に行ったのが田狭の子供達だから、吉備です。吉備vs吉備。これは「吉備勢力を削ぐ」という意味があったのではないか?とも。
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