青と博徳を呉国へ。高麗の軍士と新羅の典馬の会話

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雄略天皇(二十七)青と博徳を呉国へ。高麗の軍士と新羅の典馬の会話

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原文

八年春二月、遣身狹村主靑・檜隈民使博德、使於吳国。自天皇卽位至于是歲、新羅国背誕、苞苴不入於今八年、而大懼中国之心、脩好於高麗。由是、高麗王、遣精兵一百人守新羅。有頃、高麗軍士一人、取假歸国、時以新羅人爲典馬(典馬、此云于麻柯毗)而顧謂之曰「汝国爲吾国所破、非久矣。」一本云「汝国果成吾士、非久矣。」其典馬、聞之、陽患其腹退而在後、遂逃入国、說其所語。

現代語訳

即位8年春2月。身狭村主青(ムサノスグリアオ)と檜隈民使博德(ヒノクマノタミノツカイハカトコ)を呉国に使者として派遣しました。天皇の位についてからこの年に至るまで新羅は背いて嘘をついて苞苴(ミツキ=貢物)を献上しないで、この年まで8年です。それでとても中国(ミカド)の心を恐れて、好(ヨシミ)を高麗(コマ)と修めました。これによって、高麗の王は精鋭の兵100人を派遣して新羅を守らせました。しばらくあって、高麗の軍士(イクサビト)の一人が取假(アカラシマ=ちょっとの間)に国に帰りました。そのとき、新羅人を典馬(ウマカイ=馬飼)としました。
典馬は于麻柯毗(ウマカイ)と言います。

そして密かに語って言いました。
「お前の国(=新羅)は我が国(=高麗)に敗れるのは遠い先の話ではないぞ」
ある本によると、「お前の国はいずれ、我が国の領土になるのは遠い先の話ではない」と言いました。

その典馬はその話を聞いて、嘘をついてお腹を病気になったマネをして、遅れて歩きました。そして距離を取って、遂には新羅へ逃げて、その軍士が語った話をみんなに説明しました。
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解説

青と博徳
雄略天皇が唯一、寵愛した人物としてあげられた二人の人物が「青と博徳」です。二人は呉国に派遣された人物です。ところで「呉国」とはどこの国なんでしょうか? 南宋の「宋書」に倭王武が出て、倭王武が雄略天皇とされていますし、「宋」だと思われます。呉は国の名前ではなく地域の名前でしょう。現在の中国の南部です。
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