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雄略天皇(十九)泊瀬の山は あやにうら麗し
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六年春二月壬子朔乙卯、天皇遊乎泊瀬小野、觀山野之體勢、慨然興感歌曰、
舉暮利矩能 播都制能野麼播 伊底拕智能 與慮斯企野麼 和斯里底能 與盧斯企夜磨能 據暮利矩能 播都制能夜麼播 阿野儞于羅虞波斯 阿野儞于羅虞波斯
於是、名小野曰道小野。
舉暮利矩能 播都制能野麼播 伊底拕智能 與慮斯企野麼 和斯里底能 與盧斯企夜磨能 據暮利矩能 播都制能夜麼播 阿野儞于羅虞波斯 阿野儞于羅虞波斯
於是、名小野曰道小野。
現代語訳
即位6年春2月4日。天皇は泊瀬の小野で遊んでいました。山野(ヤマ)の体勢(ナリ=姿形)を見て、感慨深く思って歌を歌いました。
こもりくの 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山 走り出の よろしき山の こもくりの 泊瀬の山は あやにうら麗し あやにうら麗し
小野を名付けて道小野(ミチオノ)といいます。
こもりくの 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山 走り出の よろしき山の こもくりの 泊瀬の山は あやにうら麗し あやにうら麗し
歌の訳(「隠国(こもりく)」は泊瀬の山の枕詞)泊瀬の山は(家から)出ると立っている、見事な良い山だ。(家から)走って出てると、見える見事な良い山だ。泊瀬の山はなんとも言えず、美しいなぁ。
小野を名付けて道小野(ミチオノ)といいます。
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解説
国を褒める
日本人は山に穀物霊が住んでいると考えていました。また日本人はあらゆる「自然物」には霊が宿っていて、霊はとどのつまり「神」でした。だから、山という自然物を褒めちぎることは、神を褒めることになり、神を褒めると神は機嫌が良くなって、豊穣を約束してくれるようになりました。まぁ、そう考えていたってことです。
だから国を見て、「えぇ国だなぁ」とか「美しい山だ」とか言うのが春の行事になっていきます。毎年褒めてれば、豊作になるだろうってことですよ。
日本人は山に穀物霊が住んでいると考えていました。また日本人はあらゆる「自然物」には霊が宿っていて、霊はとどのつまり「神」でした。だから、山という自然物を褒めちぎることは、神を褒めることになり、神を褒めると神は機嫌が良くなって、豊穣を約束してくれるようになりました。まぁ、そう考えていたってことです。
だから国を見て、「えぇ国だなぁ」とか「美しい山だ」とか言うのが春の行事になっていきます。毎年褒めてれば、豊作になるだろうってことですよ。
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雄略天皇(日本書紀)の表紙へ
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- Page16 雄略天皇(十六)トンボが虻を食べて飛び去る歌
- Page17 雄略天皇(十七)葛城山で狡獵で猪に追われ舎人は榛の樹に登る
- Page18 雄略天皇(十八)加須利君は軍君を日本に派遣する
- Page19 雄略天皇(十九)泊瀬の山は あやにうら麗し
- Page20 雄略天皇(二十)蚕の事・蜾蠃は誤解して嬰児を集める
- Page21 雄略天皇(二十一)三諸丘の大蛇と少子部連蜾蠃と雷
- Page22 雄略天皇(二十二)吉備下道臣前津屋の反逆
- Page23 雄略天皇(二十三)田狭の妻の稚媛の美しさ
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