葛城山の一事主之神

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雄略天皇(十五)葛城山の一事主之神

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原文

四年春二月、天皇射獵於葛城山、忽見長人、來望丹谷、面貌容儀相似天皇天皇、知是神、猶故問曰「何處公也。」長人對曰「現人之神。先稱王諱、然後應噵。」天皇答曰「朕是幼武尊也。」長人次稱曰「僕是一事主神也。」遂與盤于遊田、驅逐一鹿、相辭發箭、竝轡馳騁、言詞恭恪、有若逢仙。於是、日晩田罷、神侍送天皇、至來目水。是時、百姓咸言「有德天皇也。」

現代語訳

即位4年春2月。雄略天皇は葛城山(カツラギヤマ)で射猟(カリ)をしました。背の高い人を見ました。その人が来て、丹谷(タニカイ=谷。丹は仙人の住むという意味合い)に見合いました。その人のその顔や姿形が天皇に似ていました。天皇はこれは神であるなと分かったのですが、それでも問いました。
「どこの公(キミ=公主)か?」
背の高い人は答えて言いました。
「現人之神(アラヒトノカミ)だ。まず、王の諱(ミナ=名前)を名乗れ。そうすれば後に名を名乗ろう」
天皇は答えて言いました。
「朕(オノレ)はこれ! 幼武尊(ワカタケルノミコト)だ」
背の高い人は次に名乗って言いました。
「わたしめはこれ、一事主神(ヒトコトヌシノカミ)だ」
それで共に遊田(カリ)を楽しんで、ひとつの鹿を駆逐(オ)って、矢を放つことを互いに譲り合い、轡(ウマノクチ)を並べて、馳せました。言詞(コトコトバ)を恭(ウヤウヤ)しく慎み、仙人に会ったようでした。日が暮れて田(カリ)を止めました。神は天皇を送りまして、来目水(クメノカワ)まで至りました。このとき、百姓はことごとく言いました。
「徳(オムオム)しくある天皇だ」
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解説

一事主之神と雄略天皇の関係
古事記では一言主と雄略天皇の関係は対等か、一言主の方が上に見えます。雄略天皇は衣服を差し出し、弓矢も一言主に捧げて、拝んでいます。

その一方で、日本書紀は一緒に狩りをしています。それどころか雄略天皇の一人称は「朕」で、一事主神は「僕(ヤツカレ)」です。「僕」はまぁ、一段下に置いた表現ですから、大分と雄略天皇の方が上になっています。
農業儀式ではないか?
古事記では「やまびこ」を通じて穀物神を天皇に宿して里へと移動させるのだと思います。日本書紀の一事主神の物語も、「やまびこ」の要素はないですが、山で神を連れて里に降りる農業の儀式を物語に組み込んだ結果でしょう。
猟りのことを「遊田」とか「田」と表現していることから考えても、古代の「猟り」には農業儀式の要素があると考えた方がいいかと思います。
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