清寧天皇(一)出自と立太子

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清寧天皇(一)出自と立太子

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原文

白髮武廣国押稚日本根子天皇、大泊瀬幼武天皇第三子也、母曰葛城韓媛。天皇、生而白髮、長而愛民、大泊瀬天皇於諸子中特所靈異。廿二年、立爲皇太子。

現代語訳

白髮武広国押稚日本根子天皇(シラカノタケヒロクニオシワカヤマトネコノスメラミコト)は大泊瀬幼武天皇(オオハツセノワカタケノスメラミコト=雄略天皇)の第三子です。母は葛城韓媛(カツラギノカラヒメ)です。天皇は生まれながらの白髪です。大人になって民を愛しました。大泊瀬天皇はもろもろの子の中から(白髮武広国押稚日本根子天皇に)霊異(キシビニアヤシ=霊力があり不思議な力)を感じました。

雄略天皇即位22年のときに皇太子となりました。
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解説

出自は葛城
清寧天皇こと白髮武広国押稚日本根子天皇の父親は雄略天皇。母親は葛城円大臣の娘の韓媛です。ちなみに葛城円大臣は雄略天皇に殺されています。

また雄略天皇は葛城の関係者を殺していますし雄略天皇の母は「忍坂大中姫」で非葛城です。雄略天皇の皇后には「非葛城」の草香幡梭姫皇女がついていますから、まぁ「反葛城」でしょう。

ところが、妃の葛城韓媛が産んだ子が次の清寧天皇となった。やはり葛城の巻き返しがあったと考えるべきではないかと思いますね。
第三子
雄略天皇には皇后とは別に3人の妃が居て、一人が韓媛で清寧天皇の母。あとは和珥童女君と、吉備稚媛です。吉備稚媛との間に星川稚宮皇子と磐城皇子が生まれ、そのうちの星川稚宮皇子がこの後すぐに「反逆」します。
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