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宣化天皇(三)皇后と子息子女
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三月壬寅朔、有司請立皇后。己酉、詔曰「立前正妃億計天皇女橘仲皇女、爲皇后。」是生一男三女、長曰石姫皇女、次曰小石姫皇女、次曰倉稚綾姫皇女、次曰上殖葉皇子、亦名椀子、是丹比公・偉那公、凡二姓之先也。前庶妃大河內稚子媛、生一男、是曰火焰皇子、是椎田君之先也。
現代語訳
(即位1年)3月1日。有司(ツカサ=役人)は皇后と立てましょうと請願しました。8日に詔(ミコトノリ)して言いました。
「前の正妃(即位前の妃のこと)である億計天皇(オケノスメラミコト=仁賢天皇)の娘の橘仲皇女(タチバナノナカツヒメミコ)を皇后としよう」
それで一人の男と三人の女を生みました。長女が石姫皇女(イシヒメノミコ=欽明天皇の皇后)と言います。次が小石姫皇女(コイシヒメノミコ=欽明天皇の妃)、次が倉稚綾姫皇女(クラノワカヤヒメノミコ=欽明天皇の妃)、次が上殖葉皇子(カミツウエハノミコ)と言います。別名を椀子(マロコ)といいます。これは丹比公(タジヒノキミ)・偉那公(イナノキミ)、この2姓の先祖です。前の庶妃(ミメ)の大河内稚子媛(オオシカフチノワクゴノヒメ)は1人の男を生みました。火焰皇子(ホノホノミコ)といいます。これは椎田君(シイダノキミ)の先祖です。
「前の正妃(即位前の妃のこと)である億計天皇(オケノスメラミコト=仁賢天皇)の娘の橘仲皇女(タチバナノナカツヒメミコ)を皇后としよう」
それで一人の男と三人の女を生みました。長女が石姫皇女(イシヒメノミコ=欽明天皇の皇后)と言います。次が小石姫皇女(コイシヒメノミコ=欽明天皇の妃)、次が倉稚綾姫皇女(クラノワカヤヒメノミコ=欽明天皇の妃)、次が上殖葉皇子(カミツウエハノミコ)と言います。別名を椀子(マロコ)といいます。これは丹比公(タジヒノキミ)・偉那公(イナノキミ)、この2姓の先祖です。前の庶妃(ミメ)の大河内稚子媛(オオシカフチノワクゴノヒメ)は1人の男を生みました。火焰皇子(ホノホノミコ)といいます。これは椎田君(シイダノキミ)の先祖です。
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解説
個人的な疑問
「橘仲皇女は本当に皇女か?」
日本書紀では仁賢天皇紀に「橘皇女」という名前があるんですが、古事記にはそれが無い。対応するだろう名前も無い。ただし、古事記の宣化天皇記には「仁賢天皇の子の橘中比売命」という名前があるので、単に古事記の仁賢天皇記の書き損じという可能性もあるにはある(もしくは写し間違い)。
「橘仲皇女は本当に皇女か?」
日本書紀では仁賢天皇紀に「橘皇女」という名前があるんですが、古事記にはそれが無い。対応するだろう名前も無い。ただし、古事記の宣化天皇記には「仁賢天皇の子の橘中比売命」という名前があるので、単に古事記の仁賢天皇記の書き損じという可能性もあるにはある(もしくは写し間違い)。
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