宣化天皇(六)崩御と合葬

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宣化天皇(六)崩御と合葬

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原文

四年春二月乙酉朔甲午、天皇崩于檜隈廬入野宮、時年七十三。冬十一月庚戌朔丙寅、葬天皇于大倭国身狹桃花鳥坂上陵。以皇后橘皇女及其孺子、合葬于是陵。皇后崩年、傳記無載。孺子者、蓋未成人而葬歟。

現代語訳

即位4年春2月10日。天皇は檜隈廬入野宮(ヒノクマノイホリノノミヤ)で崩御しました。その時、年齢は73歳。

冬11月17日。天皇を大和国の身狹桃花鳥坂上陵(ムサノツキサカノウエノミサザキ)に葬りました。皇后の橘皇女とその孺子(ワクゴ=幼子)をこの陵(=墓)に合葬しました。
皇后の崩御した年は伝記に載っていない。孺子はまだ成人になっていないうちに亡くなった人のことか。
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解説

以上で宣化天皇はおしまい。即位4年で崩御です。安閑天皇と宣化天皇は、継体天皇が長生きだったことを考えると、この治世が短いのもしょうがないかと。
合葬について
合葬というと、いっぺんに葬られたような気がしますが、後から一緒に入れられたと考えたほうが自然です。
孺子
孺子は熟語としては「青二才」「未成年」という意味ですが、注釈で「孺子は成人になってないって意味じゃないかなぁ?」と書いてあるということは、意味あいとしてはかなり「あやしい」ということです。

これって他の文章でも、漢字に書かれていることが本当に日本人にとって「同じ意味」とは限らないというか、当時の人にとってもアヤフヤだったってことです。
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