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宣化天皇(五)磐と狹手彦の任那防衛
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現代語訳
即位2年冬10月1日。天皇は新羅が任那に寇(アタナウ=侵略)したので、大伴金村大連に詔(ミコトノリ)して、その子の磐(イワ)と狹手彦(サデヒコ)を派遣して、任那を助けさせました。このとき、磐は筑紫にとどまり、その国で政治を執り、三韓に備えました。狹手彦は行って任那を沈静化し、加えて百済を救いました。
解説
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- Page15 宣化天皇(一)出自と人となり
- Page16 宣化天皇(二)遷都と大連と大夫の任命
- Page17 宣化天皇(三)皇后と子息子女
- Page18 宣化天皇(四)飢饉対策・那津之口に官家を
- Page19 宣化天皇(五)磐と狹手彦の任那防衛
- Page20 宣化天皇(六)崩御と合葬
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