磐と狹手彥の任那防衛

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宣化天皇(五)磐と狹手彦の任那防衛

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原文

二年冬十月壬辰朔、天皇、以新羅冦於任那、詔大伴金村大連、遣其子磐與狹手彦、以助任那。是時、磐、留筑紫執其国政、以備三韓。狹手彦、往鎭任那、加救百濟。

現代語訳

即位2年冬10月1日。天皇新羅が任那に寇(アタナウ=侵略)したので、大伴金村大連に詔(ミコトノリ)して、その子の磐(イワ)と狹手彦(サデヒコ)を派遣して、任那を助けさせました。このとき、磐は筑紫にとどまり、その国で政治を執り、三韓に備えました。狹手彦は行って任那を沈静化し、加えて百済を救いました。

解説

磐と狹手彦
磐はココ以外では出てきませんが、狹手彦は今後も登場します。

前のページで物部麁鹿火が死んでしまいましたので、有力者は大伴金村のみ。蘇我稲目も台頭してきていますが、まだまだ金村は強い。
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