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欽明天皇(一)夢のお告げ・山背国の紀郡の深草里秦大津父
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現代語訳
天国排開広庭天皇(アメクニオシハラキヒロニワノスメラミコト=欽明天皇)は男大迹天皇(オオドノスメラミコト=継体天皇)の嫡子(ムカイメバラノミコ)です。母は手白香皇后(タシラカノキサキ=仁賢天皇の皇女)といいます。継体天皇は欽明天皇を愛し、常に左右(モトコ=傍に)に置いていました。欽明天皇が幼いときに、夢に人が出て言いました。
「天皇。
秦大津父(ハダノオオツチ)という者を寵愛すれば壮大(オトコサカリ=壮年)になって必ず天下を治めるようになるだろう」
夢が覚めて使者を派遣して、国をあまねく隅々まで探し求めると、山背国(ヤマシロノクニ)の紀郡(キノコオリ)の深草里(フカクサノサト=山城国紀伊郡深草郷=現在の京都府境地し伏見区稲荷町から大亀谷町)で得ました。姓字(ウジナ)は夢で見たものと同じでした。
「天皇。
秦大津父(ハダノオオツチ)という者を寵愛すれば壮大(オトコサカリ=壮年)になって必ず天下を治めるようになるだろう」
夢が覚めて使者を派遣して、国をあまねく隅々まで探し求めると、山背国(ヤマシロノクニ)の紀郡(キノコオリ)の深草里(フカクサノサト=山城国紀伊郡深草郷=現在の京都府境地し伏見区稲荷町から大亀谷町)で得ました。姓字(ウジナ)は夢で見たものと同じでした。
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解説
秦
秦大津父という名前はもう出てきませんし、前にも出ませんが、「秦」はすでに応神天皇のところで登場しています。
秦は一般的には朝鮮系氏族とされます。それは応神天皇の時代に朝鮮から「帰化」したとされるからです。しかしそれにしては「秦」も「弓月」も「大津父」も日本語なんですよね。本当に帰化したのかは結構あやしいと思うのです。というのも魏志倭人伝によると朝鮮の南部は倭人が住んでいたのですから。帰化といっても、現代でいうと日系ブラジル人が日本に帰化したような、朝鮮人が日本に帰化したというのとは違うんじゃないかと。
山代国と天皇
父の継体天皇の生まれたところが「近江国(=現在の滋賀県)」で、このページで登場するのが秦大津父のいた土地が山背国。大和とは微妙に遠い。ここいら辺に政治的な変化が継体天皇の時代にあり、それが欽明天皇の時代に引き継がれたのではないかと個人的に思う。
秦大津父という名前はもう出てきませんし、前にも出ませんが、「秦」はすでに応神天皇のところで登場しています。
秦は一般的には朝鮮系氏族とされます。それは応神天皇の時代に朝鮮から「帰化」したとされるからです。しかしそれにしては「秦」も「弓月」も「大津父」も日本語なんですよね。本当に帰化したのかは結構あやしいと思うのです。というのも魏志倭人伝によると朝鮮の南部は倭人が住んでいたのですから。帰化といっても、現代でいうと日系ブラジル人が日本に帰化したような、朝鮮人が日本に帰化したというのとは違うんじゃないかと。
山代国と天皇
父の継体天皇の生まれたところが「近江国(=現在の滋賀県)」で、このページで登場するのが秦大津父のいた土地が山背国。大和とは微妙に遠い。ここいら辺に政治的な変化が継体天皇の時代にあり、それが欽明天皇の時代に引き継がれたのではないかと個人的に思う。
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欽明天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 欽明天皇(一)夢のお告げ・山背国の紀郡の深草里秦大津父
- Page2 欽明天皇(二)二つの狼・秦大津父を大蔵省に
- Page3 欽明天皇(三)山田皇后に政事を・皇子の徳
- Page4 欽明天皇(四)天皇即位のとき、年齢は若干
- Page5 欽明天皇(五)皇后と子息子女
- Page6 欽明天皇(六)己知部の帰化・磯城嶋金刺宮・漢人と秦人の戸籍
- Page7 欽明天皇(七)難波祝津宮への行幸・百済への4県割譲の失敗
- Page8 欽明天皇(八)大伴金村の仮病・罪を問わない
- Page9 欽明天皇(九)后妃と子息子女
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