大伴金村の仮病・罪を問わない

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欽明天皇(八)大伴金村の仮病・罪を問わない

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原文

於是、大伴大連金村、居住吉宅、稱疾不朝。天皇、遣靑海夫人勾子、慰問慇懃。大連怖謝曰「臣所疾者、非餘事也。今諸臣等謂臣滅任那。故恐怖不朝耳。」乃以鞍馬贈使、厚相資敬。靑海夫人、依實顯奏、詔曰「久竭忠誠、莫恤衆口。」遂不爲罪、優寵彌深。是年也、太歲庚申。

現代語訳

大伴大連金村(オオトモノオオムラジカネムラ)は住吉(スミノエ)の自宅に居て、疾(ヤマイ=病気)を自称して朝廷へと行かなくなりました。天皇は遣青海夫人勾子(アオミノオオトジマガリコ)を派遣して慰問して、慇懃(ネンゴロ=親しく)しました。大連は恐れおおく畏まり、謝って言いました。
「わたしめが病んでいるのは余事(アタシコト=私事)ではありません。今、諸々の臣たちがわたしめが任那を滅ぼしたと言っています。それで、恐怖して朝廷へと行かないのです」
すぐに鞍馬(カザリウマ)を使者に贈って、厚く敬いました。青海夫人(アオミノオオトジ)は実際にあったままに報告しました。天皇は詔(ミコトノリ)して言いました。
「お前は久しく、長く、忠誠をつくした。衆人の口を憂うことはない」
と、ついには罪とせずにいよいよ深く優しく寵愛しました。この年は太歲庚申です。
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解説

罪を問わない意味
儒教は徳治主義です。道徳が何よりも重んじられ、道徳が世界を「素晴らしく」するものだと考えています。よって、何か失敗があると、それは「不道徳が原因」であるとされます。道徳があればうまくいくということは、失敗は不道徳の証拠なのです。

つまり失敗者とは不道徳であるということであり、失敗者は悪人ということです。悪人だから失敗したわけです。論理の飛躍、と思いがちですが、ちょっと昔の日本でも何か会社で不祥事があると「不徳の致すところです」と上司が責任を取っていましたよね。あれって上司は直接ミスって無くても責任を問われるのです。また、中国で事故や災害があったときに死者が35人以上いかないのも、それ以上となると、「失敗→不道徳→悪人」という理屈が働いて強く罰する必要があるからです。

ただ日本では儒教の影響は一部で、ここまで露骨ではありません。

それで大伴金村が政策のミスを問われながらも罪に問われなかったのは、つまり「日本は儒教国ではない」という意味になります。

日本では合議制です。これは神話の時代に高天原の天安川で八百万の神が話し合って、天岩戸事件や国譲りの対策を考えたときからの常識です。日本では話し合って決める。だから「責任」というのはいつも曖昧です。現代でもです。こういう日本の「和」の論理が大伴金村に罪を問うことを許さなかった、のだと思います。
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