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欽明天皇(五)皇后と子息子女
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元年春正月庚戌朔甲子、有司請立皇后、詔曰、立正妃武小廣国押盾天皇女石姫爲皇后。是生二男一女、長曰箭田珠勝大兄皇子、仲曰譯語田渟中倉太珠敷尊、少曰笠縫皇女。更名狹田毛皇女。
現代語訳
即位1年春1月15日。有司(ツカサ=役人)は皇后を立ててくださいと願い請いました。詔(ミコトノリ)して言いました。
「正妃(ムカヒメ)の武小広国押盾天皇(タケオヒロクニオシタテノスメラミコト=宣化天皇)の娘の石姫(イシヒメ)を皇后に立てよう」
石姫は二人の男と一人の女を生みました。長子が箭田珠勝大兄皇子(ヤタノタマカツノオオエノミコ)と言います。中の子を譯語田渟中倉太珠敷尊(オサタノヌナクラノフトタマシキノミコト=敏達天皇)といいます。、年少を笠縫皇女(カサヌイノヒメミコ)といいます。別名を狹田毛皇女(サタケノヒメミコ)といいます。
「正妃(ムカヒメ)の武小広国押盾天皇(タケオヒロクニオシタテノスメラミコト=宣化天皇)の娘の石姫(イシヒメ)を皇后に立てよう」
石姫は二人の男と一人の女を生みました。長子が箭田珠勝大兄皇子(ヤタノタマカツノオオエノミコ)と言います。中の子を譯語田渟中倉太珠敷尊(オサタノヌナクラノフトタマシキノミコト=敏達天皇)といいます。、年少を笠縫皇女(カサヌイノヒメミコ)といいます。別名を狹田毛皇女(サタケノヒメミコ)といいます。
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解説
石姫
石姫の父親は宣化天皇、母親は橘仲皇女。橘仲皇女は仁賢天皇の娘です。変な話ですが、継体天皇以降、天皇の血を受け継いでいるのは、どちらかというと皇女なんですよね。
石姫の父親は宣化天皇、母親は橘仲皇女。橘仲皇女は仁賢天皇の娘です。変な話ですが、継体天皇以降、天皇の血を受け継いでいるのは、どちらかというと皇女なんですよね。
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- Page2 欽明天皇(二)二つの狼・秦大津父を大蔵省に
- Page3 欽明天皇(三)山田皇后に政事を・皇子の徳
- Page4 欽明天皇(四)天皇即位のとき、年齢は若干
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- Page6 欽明天皇(六)己知部の帰化・磯城嶋金刺宮・漢人と秦人の戸籍
- Page7 欽明天皇(七)難波祝津宮への行幸・百済への4県割譲の失敗
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