山田皇后に政事を・皇子の徳

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欽明天皇(三)山田皇后に政事を・皇子の徳

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原文

四年冬十月、武小廣国押盾天皇崩、皇子天国排開廣庭天皇、令群臣曰「余、幼年淺識、未閑政事。山田皇后、明閑百揆。請。就而決。」山田皇后怖謝曰「妾蒙恩寵、山海詎同。萬機之難、婦女安預。今皇子者、敬老慈少、禮下賢者、日中不食以待士、加以幼而穎脱、早擅嘉聲、性是寛和、務存矜宥。請諸臣等、早令登位光臨天下。」

現代語訳

宣化天皇即位4年冬10月に武小広国押盾天皇(タケオヒロクニオシタテノスメラミコト=宣化天皇)が崩御しました。皇子の天国排開広庭天皇(アメクニオシハラキヒロニワノスメラミコト=欽明天皇)は群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)に令(ノリゴト=命令)して言いました。
「余(オノレ)は幼年で、知識が浅く、いまだ政事(マツリゴト=政治)に慣れていない。山田皇后(ヤマダノキサキ=仁賢天皇の皇女で、安閑天皇の皇后=春日山田皇女)は政治に明るく、百揆(モモノマツリゴト=あらゆる政治)に慣れている。願い請います。就任を決めてください」
山田皇后は畏まり、陳謝して言いました。
「わたしめは恩寵(ミメグミ=夫である天皇からの愛情・いつくしみ)を蒙(コウム)っていて、山も海も同じようなものだと思っているのです。万機(ヨロズノマツリゴト=あらゆる政治)は難しく、婦女がどうして安易に預かることができましょう。今、皇子(=欽明天皇のこと)は老人を敬い、年少者をいつくしみ、賢者には礼をつくします。日が中に来る…正午までは食事を食べずに名士を待ちます。また、幼くして優れていて、ずば抜けていて、早くから良い名声をほしいままにして、性格は寛容で、柔和で、悲しんでいるひとは宥(ナダ)めています。願い請います。諸臣(モロモロノマヘツノキミ)たち。早く天皇位に登って天下を光で照らし、臨み見てくださいと」
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解説

皇女と天皇
欽明天皇が天皇になる、その前に欽明天皇は春日山田皇女に「政治を行うよう」に求めます。当然というべきか、断られ、欽明天皇が天皇につくのですが…

女性が政治を行うことは、この時代においてはそれほど特殊なことという感覚が無かったのではないかと思います。実際、清寧天皇と顯宗天皇の間には飯豊皇女という、名もなき天皇があり、古くでは神功皇后というスーパーヒロインがいます。また、天皇の皇后がほとんど皇女であることを考えると、皇后や妃は単なる后妃ではなく、ちゃんとした政治的な役割があったと考えたほうが自然じゃないかと思います。
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