3月10日に使者を日本に派遣

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欽明天皇(二十一)3月10日に使者を日本に派遣

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原文

二月、百濟遣施德馬武・施德高分屋・施德斯那奴次酒等、使于任那、謂日本府與任那旱岐等曰「我、遣紀臣奈率彌麻沙・奈率己連・物部連奈率用奇多、朝謁天皇。彌麻沙等、還自日本、以詔書宣曰『汝等宜共在彼日本府、早建良圖、副朕所望。爾其戒之、勿被他誑。』又津守連、從日本來(百濟本記云津守連己麻奴跪、而語訛不正、未詳)宣詔勅而問任那之政。故、將欲共日本府・任那執事議定任那之政奉奏天皇、遺召三廻、尚不來到。由是、不得共論圖計任那之政奉奏天皇矣。今欲請留津守連、別以疾使、具申情狀遣奏天皇。當以三月十日發遣使於日本。此使便到、天皇必須問汝。汝日本府卿・任那旱岐等、各宜發使、共我使人、往聽天皇所宣之詔。」
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現代語訳

(即位5年)2月に百済は施德馬武(セトクメム)・施德高分屋(セトクコウブンオク)・施德斯那奴次酒(セトクシアノシシュ)たちを派遣して任那に使者として、日本府と任那の旱岐(カンキ=役職名)たちに語って言いました。
「わたしは、紀臣奈率弥麻沙(キノオミナソチミマサ)・奈率己連(ナソチコレン)・物部連奈率用奇多(モノノベノムラジナソチヨウダタ)を派遣して、天皇のもとへと朝謁(モウデ)ました。弥麻沙(ミマサ)たちは日本から帰って、詔書(ミコトノリノフミ)をもって言いました。
『お前たち、そこにある日本府とともに、速やかに良い策を立てて、朕が覗くようにしなさい。しっかりとそれに努めなさい。他人に欺かれないように』
津守連(ツモリノムラジ)は日本から来て詔勅を読み、任那の政治を問いました。
百済本記によると、津守連己麻奴跪(ツモリノムラジコマナコ)といいます。しかし、言葉は訛っていて正しくありません。未詳です。

日本府・任那の執事(ツカサ=役人)とともに任那の政治を話し合って定めて天皇に申し上げようとして、招集に使者を三回派遣したのですが、来ませんでした。これで任那の政治を計って論じて、天皇に申し上げようとしても出来ませんでした。今、津守連を請願し留めて、別に速い使者で、詳細に情状(アルカタチ)を述べて、天皇に申し上げようと思いました。
3月10日に使者を日本に派遣しました。この使者は到着すれば、天皇は必ずお前のことを問うだろう。お前たち…日本府の卿と任那の旱岐たちはそれぞれが使者を派遣し、わたしの使者とともに日本に行って、天皇の言う詔を聞くべきだ」
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解説

わかりづらいので分かりやすく
百済は日本府と任那に再三再度、招集をしたのですが全く応じません。津守連がやって来ても、態度は変わりませんでした。そこで百済は、日本に直接使者を送ることにしました。使者が内情を天皇に説明すれば、天皇は日本府と任那の役人たちに腹をたてるだろう。それが嫌ならば、日本府と任那も、百済とともに使者を送って天皇の詔を聞け!

という内容です。
この言葉が事実ならば、日本府・任那の状況は本国の大和ではほとんど把握できていなかったということになります。しかし、大和がその気になるのは、日本府や任那もあまり好ましくないという意味でもあります。
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