任那の国を再建するには天皇の威を借りなくては

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欽明天皇(二十三)任那の国を再建するには天皇の威を借りなくては

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原文

又謂日本府卿・任那旱岐等曰「夫建任那之国、不假天皇之威誰能建也。故我思欲就天皇請將士而助任那之国。將士之粮、我當須運。將士之數、未限若干。運粮之處、亦難自決。願居一處、倶論可不、擇從其善、將奏天皇。故頻遣召、汝猶不來、不得議也。」

現代語訳

また、日本府卿(ヤマトノミコトモチノカミ)・任那の旱岐(カンキ=役職名)たちに語って言いました。
「任那の国を再建するには天皇の威(ミイキオイ)を借りなくては誰によって建てられるというのか。わたしは天皇のもとへと参りでて、将士(イクサ=兵士)を請願して、任那の国を助けようと思っている。将士の粮(カテ=糧=食料)はわたしが運ぼう。将士の数は若干(ソコバク=多少)とは限らない。粮を運ぶところは自分では決めがたい。願わくば、一箇所に集まって、ともに可否を論じて選んで、その善策に従い、天皇に報告を申し上げよう。だからしきりに招集するために使者を派遣してもお前は来ないので、合議できない」
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解説

百済と日本府と任那
任那は新羅の進行により無政府状態に陥りました。無政府ではあるのですが個々の国はまだ活動しています。しかし、治安が悪かったのでしょう。それで百済は任那の再建を急務とした。なぜなら、任那の治安が悪化した状態だと、日本との交易路が不安定だからです。貿易は莫大な利益を生む。これを失うわけにはいかない。

では日本はどうして本腰を入れないのか。

わたしは現在の日本の学者が考えるよりも朝鮮半島の価値が低かったというのがあると思います。大和はまず、九州・出雲と関東・東北の蝦夷を結ぶ「貿易都市」として発展しました。そして貿易経済圏「大和」を構築することで、儒教的世界とはまったく違う「国」という概念を作り上げました。大和にとっては土地と土地を結べば利益がでます。揉め事ばかり起こす新羅にエネルギーを注ぐくらいなら、別のルートを開拓するという方法もあるのです。

おそらく薩摩→沖縄→東南アジアという貿易ルートの方が魅力的になったのではないかと思います。実際、隼人がこの後(7世紀〜8世紀)に大和朝廷に帰順します。ちなみに欽明天皇の在位は539年から571年とされます。つまり、この頃から薩摩隼人との交易が活発になり、「じゃあ大和朝廷に参加しよ!」と決心するのが7世紀。貿易がもたらす利益は大きく、大和は隼人と従えたのではなく迎え入れたハズです。隼人の神話(ニニギ・海幸彦山幸彦)が重要視されたのには、そういう経緯があったのでしょう。
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