スポンサードリンク
欽明天皇(十九)百済の合議と河内直たちを本国に帰すよう表を提出する
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
十二月、百濟聖明王、復以前詔、普示群臣曰「天皇詔勅如是、當復何如。」上佐平沙宅己婁・中佐平木刕麻那・下佐平木尹貴・德率鼻利莫古・德率東城道天・德率木刕昧淳・德率国雖多・奈率燕比善那等、同議曰「臣等、禀性愚闇、都無智略。詔建任那、早須奉勅。今宜召任那執事・国々旱岐等、倶謀同計、抗表述志。又河內直・移那斯・麻都等猶住安羅、任那恐難建之。故亦幷表、乞移本處也。」聖明王曰「群臣所議、甚稱寡人之心。」
現代語訳
百済の聖明王は以前の詔(ミコトノリ)を全ての群臣(マヘツノキミタチ)に示し見せて言いました。
「天皇の詔勅はこのようになっている。はたして如何にするべきだろうか」
上佐平沙宅己婁(ソクサヘイサタクコル)・中佐平木刕麻那(シソサヘイモクラマナ)・下佐平木尹貴(オトサヘイモクインクイ)・德率鼻利莫古(トクソチビリマクコ)・德率東城道天(トクソチトウジョウドウテン)・德率木刕昧淳(トクソチモクラマイジュン)・德率国雖多(トクソチコクスイタ)・奈率燕比善那(ナソチエンヒゼンナ)たちは合議して言いました。
「わたしめたちは、人となりが愚かで知識が無く明るくありません。知略もありません。任那を再建しろという詔がありました。速やかに勅を受けるべきです。今、任那の執事(ツカサ=役人)、国々の旱岐(カンキ=役職名)たちを招集し、ともに合議して、一緒に計画して、表(フミ)を申し上げて、志を述べましょう。また、河内直(カフチノアタイ)・移那斯(エナシ)・麻都(マト)などは尚、安羅に居て、任那はおそらくは再建が難しいでしょう。また、あわせて表を申し上げて、乞い願って、本のところへと移しましょう(河内直以下の人物を本国に帰すこと)。
聖明王は言いました。
「群臣の謀議したところ、多分に寡人(オノレ=自分を卑下した言い方)の心にかなったものだった」
「天皇の詔勅はこのようになっている。はたして如何にするべきだろうか」
上佐平沙宅己婁(ソクサヘイサタクコル)・中佐平木刕麻那(シソサヘイモクラマナ)・下佐平木尹貴(オトサヘイモクインクイ)・德率鼻利莫古(トクソチビリマクコ)・德率東城道天(トクソチトウジョウドウテン)・德率木刕昧淳(トクソチモクラマイジュン)・德率国雖多(トクソチコクスイタ)・奈率燕比善那(ナソチエンヒゼンナ)たちは合議して言いました。
「わたしめたちは、人となりが愚かで知識が無く明るくありません。知略もありません。任那を再建しろという詔がありました。速やかに勅を受けるべきです。今、任那の執事(ツカサ=役人)、国々の旱岐(カンキ=役職名)たちを招集し、ともに合議して、一緒に計画して、表(フミ)を申し上げて、志を述べましょう。また、河内直(カフチノアタイ)・移那斯(エナシ)・麻都(マト)などは尚、安羅に居て、任那はおそらくは再建が難しいでしょう。また、あわせて表を申し上げて、乞い願って、本のところへと移しましょう(河内直以下の人物を本国に帰すこと)。
聖明王は言いました。
「群臣の謀議したところ、多分に寡人(オノレ=自分を卑下した言い方)の心にかなったものだった」
スポンサードリンク
解説
欽明天皇(十八)津守連・下韓の郡令と城主にある「三佐平内頭(ミタリノサヘイナイヅ)」はこのページの「上佐平沙宅己婁(ソクサヘイサタクコル)・中佐平木刕麻那(シソサヘイモクラマナ)・下佐平木尹貴(オトサヘイモクインクイ)」のことではないかと思われます。
佐平というのは役職名のことでしょうね。
佐平というのは役職名のことでしょうね。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
欽明天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page15 欽明天皇(十五)速古王・貴首王の時代から和親を
- Page16 欽明天皇(十六)聖明王と任那の日本府
- Page17 欽明天皇(十七)紀臣奈率彌麻沙・中部奈率己連の来朝
- Page18 欽明天皇(十八)津守連・下韓の郡令と城主
- Page19 欽明天皇(十九)百済の合議と河内直たちを本国に帰すよう表を提出する
- Page20 欽明天皇(二十)任那と日本府の執事が招集を断る
- Page21 欽明天皇(二十一)3月10日に使者を日本に派遣
- Page22 欽明天皇(二十二)河内直への非難・お前の先祖も…
- Page23 欽明天皇(二十三)任那の国を再建するには天皇の威を借りなくては
スポンサードリンク