紀臣奈率彌麻沙・中部奈率己連の来朝

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欽明天皇(十七)紀臣奈率彌麻沙・中部奈率己連の来朝

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原文

秋七月、百濟遣紀臣奈率彌麻沙・中部奈率己連、來奏下韓・任那之政、幷上表之。

四年夏四月、百濟紀臣奈率彌麻沙等罷之。秋九月、百濟聖明王、遣前部奈率眞牟貴文・護德己州己婁與物部施德麻奇牟等、來獻扶南財物與奴二口。

現代語訳

秋7月。百済は紀臣奈率彌麻沙(キノオミナソチミマサ)・中部奈率己連(チウホウナソチコレン)を派遣して、日本に来て、下韓・任那の政治のことを報告して、あわせて表(フミ)を献上しました。

即位4年夏4月に百済の紀臣奈率彌麻沙たちは帰国しました。

秋9月。百済の聖明王は前部奈率眞牟貴文(ゼンホウナソチシムクイモン)・護德己州己婁與(コトクコツコル)・物部施德麻奇牟(モノノベノセトクマガム)たちを派遣して、扶南(フナム=インドシナ南部メコン川下流のクメール族の国)の宝物と奴隷2口(フタリ)を献上しました。
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解説

物部施德麻奇牟(モノノベノセトクマガム)
物部の姓を持ちながら、名前は百済風。これは物部の人間が朝鮮半島で娶って産ませた子供の名前の特徴です。つまり、日本人は朝鮮半島にかなり根深く関わっていたということになります。
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