㖨己呑・南加羅・卓淳の滅亡の原因

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欽明天皇(十三)㖨己呑・南加羅・卓淳の滅亡の原因

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原文

聖明王曰「昔我先祖速古王・貴首王之世、安羅・加羅・卓淳旱岐等、初遣使相通厚結親好、以爲子弟冀可恆隆。而今被誑新羅、使天皇忿怒而任那憤恨、寡人之過也。我深懲悔而遣下部中佐平麻鹵・城方甲背昧奴等、赴加羅、會于任那日本府相盟。以後、繋念相續、圖建任那、旦夕無忘。今天皇詔稱、速建任那。由是、欲共爾曹謨計樹立任那国、宜善圖之。又於任那境、徵召新羅問聽與不、乃倶遣使奏聞天皇恭承示教。儻如使人未還之際、新羅候隙侵逼任那、我當往救、不足爲憂。然善守備、謹警無忘。別汝所噵、恐致卓淳等禍、非新羅自强故所能爲也。其㖨己呑、居加羅與新羅境際而被連年攻敗、任那無能救援、由是見亡。其南加羅、蕞爾狹小、不能卒備、不知所託、由是見亡。其卓淳、上下携貳、主欲自附內應新羅、由是見亡。因斯而觀、三国之敗、良有以也。昔新羅、請援於高麗而攻擊任那與百濟、尚不剋之。新羅安獨滅任那乎。今寡人、與汝戮力幷心翳頼天皇、任那必起。」因贈物各有差。忻々而還。
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現代語訳

聖明王(セイメイオウ)は言いました。
「昔、我らの先祖の速古王(ソクコオウ)・貴首王(クイシュオウ)の世に安羅(アラ)・加羅(カラ)・卓淳(トクジュン)の旱岐(カンキ=役職名)たちは初めて使者を派遣して互いに通い、親交を厚くし、結びついた。それで子弟(ヤカラ=仲間・一族)となって、常に栄えるように願った。しかし、今、新羅(シラキ)に欺かれ、天皇を怒らせ、任那で憤恨(ウラ)まれるのは寡人(オノレ=下らない人間…自分を卑下した言い方)の過失だ。わたしは、深く懲り、悔い、下部中佐平麻歯(カホウシソサヘイマロ)・城方甲背昧奴(ジョウホウカウハイマナ)たちを派遣して、加羅に行かせ、任那の日本府で会って、お互いに誓い、同盟を結んだ。以後、思いを途切れさせず、互いを思い続け、任那を再建しようと図り、朝も夕も忘れたことは無い。今、天皇は詔(ミコトノリ)して言われた。
『速やかに任那を再建しよう』
それで我々が曹(トモガラ=仲間・一族)と共に計画して任那などの国を樹立させようと思っている。よくよく計画するべきだ。また、任那の国境に新羅を呼び寄せて、詔を聴くか聴かないかと問い責めよう。すぐに使者を派遣して、天皇に申し上げて、慎みこれからのことを教えていただこう。もし使者が帰ってこない際、新羅が間隙をついて任那を侵略して来たなら、わたしはすぐに行って救おう。憂慮することはない。しかし、よく守り、準備して、警戒を怠ってはいけない。それとは別に、お前たちが先ほど言った、『卓淳などの禍(ワザワイ)のようになることを恐れる』というのは、新羅が強いから出来たことではない。あの㖨己呑(トクコトン)は加羅と新羅との境界の際(キワ)にあって、連年(トシシキリ)に攻められ、敗けたのだ。任那も遠くて救い助けることはできなかった。それで滅ぼされたのだ。あの南加羅(アリヒシノカラ)は小さく狭い国だったので、すぐには準備ができず、身を寄せる国(=助けを求める国のこと)が分からなかったのだ。だから滅ぼされたのだ。あの卓淳は上下に離れて二つになっていた。主(キミ=君主)は新羅に従おうと思って、新羅と内通していた。これらを見るに三つの国が敗れたのには理由がある。昔、新羅は援助を高麗に要請して任那と百済を攻撃したが、勝てなかった。なのにどうして新羅が単独で任那を滅ぼすことができるだろうか。今、寡人(オノレ=自分を卑下した言い方)はお前たちを力を合わせ、心を合わせて、天皇の頼(ミタマノフユ=霊威)によれば、任那は必ず再建できる」
それで聖明王は旱岐たちに物を贈りました。それぞれ品がありました。よろこんで帰りました。
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解説

頼れる王、聖明王
聖明王は新羅が強いんじゃないよ。偶然、新羅が勝ったんだよ。買ったのにはコレコレ理由があったんだよと、任那の人たちを説得しています。任那の人にとっては新羅の侵略がもうすぐそこまで来ている危機ですから、とにかくどうにかしたいのです。それを落ち着け落ち着けと説得するのですね。まぁ、最後は「贈答品」で納得させるあたりは、ゲンキンな話だなと思いますが。
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