元明天皇を讃える

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元明天皇を讃える

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原文

伏して惟うに皇帝陛下、一を得て光宅し、三に通じて亭育したまふ。紫宸に御して徳は馬の蹄の極まる所に被び、玄扈に坐して化は船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ。日浮かびて暉を重ね、雲散ちりて烟に非ず。柯を連ね穗を并す瑞、史書すことを絶たず、烽を列ね訳を重むる貢、府空しき月無し。名は文命よりも高く、徳は天乙にも冠りたまへりと謂ひつべし。

現代文訳

元明天皇が帝位についてからは、人徳がすぐれて、国民も国土も育まれています。その徳は陸に於いては馬が行けるところまでも――海においては船の先が行けるところまでも、広く及んでいます。太陽の輝きがあり、おだやかな空があり、枝が茂り、沢山の実が成っています。
一方で、何度も通訳を重ねるような遠い国からも貢物がきて、いつも宮廷の倉に山積み。空っぽになることがありません。
元明天皇の名は名君と言われた夏の兎王や殷の湯王にも勝っているほどです。
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解説

第43代元明天皇が突然登場。
この元明天皇は女性天皇で、古事記・日本書紀を企画した「天武天皇」にとっては姪にあたります。

第40代天武天皇の次は第41代持統天皇、第42代文武天皇、次が第43代元明天皇。日本書紀・古事記は持統天皇・元明天皇という女性天皇が関わったことで後宮文学の匂いがすると言われます。後宮文学がちょっと良く分からないです。すいません。

ところで元明天皇は天武天皇の姪、と書きましたが、天武天皇の妻である持統天皇も姪です。二人の女性天皇は第38代天智天皇、つまり中大兄皇子の娘。そして天智天皇と天武天皇は兄弟。また形式上は第39代の天皇とされる大友皇子も(壬申の乱で後の天武天皇の大海人皇子に戦争で敗れた)天智天皇の子ですから、登場人物の全てが親戚ってことですね。ややこしい。

個人的コラム

ここでの天皇陛下が「元明天皇」とされるのは、この文書が和銅五年に作られていて(奉じられている)、和銅五年は元明天皇の時代であるため。
参考:漢字に直すのは大変
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