大柱直・天に赤い気・天皇記と国記

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推古天皇(四十八)大柱直・天に赤い気・天皇記と国記

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原文

廿八年秋八月、掖玖人二口、流來於伊豆嶋。冬十月、以砂礫、葺檜隈陵上。則域外積土成山。仍毎氏科之、建大柱於土山上。時、倭漢坂上直樹柱勝之太高、故時人號之曰大柱直也。十二月庚寅朔、天有赤氣、長一丈餘、形似雉尾。是歲、皇太子・嶋大臣共議之、錄天皇記及国記、臣連伴造国造百八十部幷公民等本記。

現代語訳

即位28年秋8月に掖玖人(ヤクビト=屋久島の人)が2口、伊豆嶋(イズノシマ)に流れて来ました。

冬10月に砂礫(サザレシ=さざれ石)を檜隈陵(ヒノクマノミサザキ=欽明天皇の墓)の上に敷きました。域外(メグリ=周囲)に土を積んで山をなしました。それで氏ごとに科して、大柱を土の山の上に建てました。その時に倭漢坂上直(ヤマトノアヤノサカノウエノアタイ)が建てた柱は、非常に甚だ高かった。その時代の人は名付けて「大柱直(オオハシラノアタイ)」と言いました。

12月1日。天に赤い気(シルシ)が有りました。形が雉(キギ=キジ)の尾に似ている。

この年、皇太子と嶋大臣(シマノオオオミ=蘇我馬子)は合議して、天皇記(スメラミコトノフミ)と国記(クニツフミ)、臣連伴造国造百八十部(オミノコムラジトモノミヤツコクニノミヤツコモモアマリヤソトモノ)と公民等の本記(モトツフミ)を録(シルシ)ました。
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解説

屋久島の人
屋久島からはこれ以前から来ていました。今回は3口(=3人)と少人数でも記すということは、屋久島との関わりを重要視していたということでしょう。

キジ
雉の尾は、彗星かな。
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